2026年6月6日土曜日

秋海棠の記憶

 


 寺田寅彦はいうまでもなく漱石の弟子にあたる人であって、科学者なのに俳句もよく詠んだ。俳句での筆名は牛頓。牛頓=ニュートン、ということらしい。

 そんな牛頓先生が遺した一句。

「中庭や小窓に雨の秋海棠」

 一見して、凡庸。だが、いい句だなあと思う。秋海棠は地味な植物で、花も華麗ではない。しかし、日陰にひっそりと咲く花にはえもいわれぬ味がある。それを小窓越しに見ているというのがいい。しかも、秋海棠は雨にうたれている。


 秋海棠の中国での呼び名は断腸花。荷風散人の号はここから来た。


 秋海棠については、個人的な思い出もある。

 結婚した直後だから1977〜78年頃だろうか。家内とは立花実さんの『ジャズへの愛着』が縁で知り合った間柄なので、亡き立花さんの仙台の実家を訪ねた。ご母堂の立花重子さんが迎えてくださった。

 広々としたリビングでしばしの歓談。そのあと、仏間に案内された。床の間があった。大ぶりの鉢がそこにあり、見事な枝ぶりの樹木が入れてあった。それが秋海棠だった。秋海棠という植物名も、そのときはじめて知った。


 秋海棠の名を聞くと、いまもあのときの情景と立花重子さんの穏やかな笑顔が思い浮かぶ。その後、立花重子さんとは年賀状をやりとりするだけのおつきあいだったが、いまから10年ほど前だろうか、100歳で物故されたという。

2026年6月5日金曜日

レフト・アローンを聴く日

 


 大好きなのだがふだんはほとんど聴くことなく、特別な機会にだけ聴くアルバムがある。1枚挙げれば、マル・ウォルドロンの『レフト・アローン』。親しかった友人知人が天に昇っていったときにだけ聴く。


 ジャズ・ファンなら知らぬ人はいない有名な1作だが、僕がジャズを聴き始めた頃は、手にすることはほとんど不可能なディスクだった。ベツレヘムというマイナー・レーベルから出たことも手伝って、市場からいち早く消え、「幻の名盤」と呼ばれた。

 僕がこれを(といっても、いまはもう手元にないアナログディスクだが)入手したのは、新宿にあった「トガワ」という中古レコード店でだった。都内のあるジャズ喫茶がつぶれ、レコードのコレクションがこの店に売られた。その中の1枚がこれ。ジャケットはぼろぼろで煙草のやにだらけ。中身の赤いディスク(東芝はよくこの色のレコードを作っていた)も、傷だらけだった。

 値段は500円だった。


 最晩年に伴奏をつとめたマルがビリー・ホリデイの死を悼んで録音した作品。標題作「レフト・アローン」が何と言っても素晴らしい。極論すれば、他の曲はいらない。この1曲で充分なのだ。

 せつせつと歌うジャッキー・マクリーンのアルト・ソロが、まずは聴く者の心を奪う。続くマルの静かなピアノ・ソロが、これまたたとえようもなく美しい。まさに鎮魂の歌。


 今年もまだ半年未満だが、何人かが逝った。流れるマルのソロを聴きながら、その人たちの顔が次々に浮かぶ。

2026年6月3日水曜日

W.B.イェイツの恋の詩

 


 W.B.イェイツの詩集『薔薇』を読む。アイルランドまで行ってイェイツに面会したほどにこの詩人を敬愛した尾島庄太郎による訳。原本は60年代半ばに発行されたもので、50年代後半の仕事という訳文はやや古びて感じられる。しかし、詩の内容に即して文体を使い分けたり、訳者の傾倒ぶりが伝わってくる1冊だ。

 青年期から晩年にいたるイェイツの詩が精選されているが、ひとつ印象的なのは「恋の詩」が多いということ。青年時代はもちろん、最晩年にいたってもそうなのだ。イェイツもまた「歳をとるほどに精神がみずみずしくなる」タイプの人だったのかもしれない。


 1889年、イェイツ24歳のときに編まれた『十字路』にある「恋人に与う」。

  我らは、ここに孤舟を繋ぎとどめ、

  草地、砂地をそぞろあゆみ、

  手を組み合って、永久にさまよおう、

  「はるけくも、不安の境を、

  逃れ来しものよ。」と二人して、低くつぶやいて。


 多く愛する人は、多く愛される人でもある。イェイツについては詳しくないが、どんな人生を送ったのか、ちょっと覗いてみたくなった。

2026年6月1日月曜日

風の音を感知できるか

 


 もう30年も前の話だが、東京のたしか江東区だったと思う、小学校の先生が風の音を録音して子供たちに聞かせた。驚くなかれ、それが風の音だと気づいた子は皆無に近かったという。

 その小学校は都内でもとびきり騒音のひどい地域にあるらしかった。だから、そこに生まれ育った子供たちの聴感覚が麻痺しているとしてもおかしくはない。ということで、これはごく限られた地域の、ごく特殊な事例だと判断することもできないことはない。

 しかしである、そう言うわれわれだって、少なくとも現代の都会に住む者は皆似たりよったりなのではないか。われわれは耳のデリカシーを守ろうとすれば正常には暮らしていけないような環境に押し込まれている。


 ある時代に、どんな音楽が隆盛を誇るか。それは、その時代に生きる人たちをとり囲む環境と抜きさしならない関係をもっていると言っていいだろう。

 現代を特徴づける音楽は、テレビから流れ来るJポップである。曲の判別ももどかしい機械的なリズム、わめくように発射される歌、工夫や独創性など存在しないに等しいステロタイプ化した言葉。日常生活を埋め尽くす騒音の中からその上に突き出ようとしたあげくの貧しい表現がそこにある。

 同じ愚を避けるには、どうするか。とりあえず可能なのは、自分なりにシェルターをつくってもぐりこむことだろう。そのシェルターはコンサート・ホールであるかもしれないし、ポータブル機器がつくる密室であるかもしれない。


CDなどで聴くには不向きな音楽

 たった一度だが、武満徹の「ムナーリ・バイ・ムナーリ」という曲をコンサートで聴いたことがある。数多い打楽器、というよりは叩けば音の出る物体を並べて演奏される音楽で、ステージ狭しと並べられたそれらの道具から出されるのは意外にもごくごく小さな音だった。曲想の要にあるのは「共鳴」であり、ある物から出た音が他の物に響き合い、デリケートそのもののエコーを生んでいく。


 聴き終えたとき、ああ、これは耳の鍛錬の儀式なのだなと思った。耳の鍛錬とは、でかい音に耐えられるようにすることではない。小さな小さな響きを聴き分けられる能力を回復することだ。


 残念ながら、この曲はCDなどで聴くにふさわしいものではないし、録音されたことがあるかどうかも知らない。しかし、武満徹の曲には「デリケートな音」に対する憧憬が通奏音として常に内在すると感じられる。

 例えば、20歳のときに書かれた作品のスケッチから再構成されたピアノ曲「リタニ」である。僕が愛聴するのは小賀野久美による録音(フィリップスPHCP-145)だが、とぎれとぎれに近い音が聴き手の想像力を刺激し、そこから静かな美しい歌がつむぎ出される。

 われわれは音楽の失われた過去と失われようとしている未来をそこに聴き取るだろう。