2026年2月21日土曜日

稲毛のホットスポット・フルハウスの夕べ

 


 20日日曜、午後2時に家を出て、稲毛へ。夕方からの会合に招かれたからだが、予定の4時まではまだまだ間があるので、稲毛図書館を覗く。理由あって前々から一度行きたいと思っていた図書館だ。

 一歩入って、びっくり。日頃利用している花見川団地分館のざっと4倍はあろうかという広さだ。千葉へ移ってくる前は八王子の南大沢図書館を利用していて、その広さと蔵書の数を懐かしく思い出すことが多かったが、稲毛はそれよりも広い。

 芸術書のコーナーで1998年に深夜叢書社から出た『小野好恵/ジャズ最終章』を見つけた。館内窓際に置かれたスツールに座って読んだ。


2年ぶりのフルハウスで

 午後4時、稲毛駅前の老舗ロックバー、フルハウスに入る。麻田浩さんのトークショーがあった一昨年の3月3日以来だから、ほぼ2年ぶり。入口にある「OPEN」のネオンサインが何やら懐かしい。


 会合をセットしてくれた増田和彦、松澤明彦のお二人がすでに来ていて、丸テーブルに移る。そのとき気づいた、耳管開放症の薬を持ってくるのを忘れたと。ひどいことになりそうだという予感がする。そして、予感は的中した。

 まずはご挨拶だが、お二人の言葉が聞き取れない。内心困ったなと思っていると、そこへ柳澤洋平君が着。彼の挨拶がこれまた聞き取れない。仕方がないので、耳元に手をやり、補聴器のボリュームを上げた。耳管開放症には無力だが、割れた音のままであっても音量は増す。話す人の顔を正面から見るようにして、なんとか会話に加わった。

 柳澤君は、1977年にローリング・ココナツ・レヴューを開催したドルフィン・プロジェクト・ジャパンの仲間である。当時の彼は第一ホテルに勤務していて、ドルフィンの会議が深夜まで長引いたときに何度か無料で泊めてもらったりした。彼と会っていると、自然にその頃のことに思いが飛ぶ。「感謝、感謝」と内心でつぶやいた。

 ローリング・ココナツの話題から、話はあの頃の音楽シーンのもろもろへと流れる。渋谷百軒店のブラックホークやBYG、風都市とショーボート・レーベル、はっぴいえんどと岡林信康、その他その他。ビールを口に運びながら、過ぎた時の長さをつくづくと感じた。

 7時近くになって、フルハウスを出る。

 この店ではしばしばトークショーやDJイベントが開かれる。少し先には室矢憲治や小倉エージのショーが予定されているらしい。

 帰りの電車の車中、その二人の名から不意に思い出したことがある。あれは1970年、三一書房の編集者Tがボブ・ディラン論集なるものを企画した。複数の筆者による共著で、その顔ぶれは前記の二人に加え、北中正和そして僕。全員で集まった記憶はないが、北中氏と親しくなったのは、この企画がきっかけではなかったか。

 最終的には肝心の原稿は僕の分しか出来上がらず、企画はお流れとなってしまうのだが、僕自身の原稿は、当時北中氏が編集部の一員だった雑誌『ニューミュージック・マガジン』に掲載された。それは、僕のロック・マガジンへのデビューとなった。

 遠い、遠い昔の話だ。

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