企業が集中する地区には、早朝から営業している飲食店が多数ある。いうまでもない、家では朝食がとれないサラリーマン目当ての店である。
渋谷のハチ公口から宮益坂へ抜けるガード下にもその種の店が何軒かあって、うち1軒のラーメン屋は舗道上にテーブルセットを2つ置いている。渋谷に事務所があった頃、僕は毎朝そこを通り抜けていったのだが、おそらくは深夜からの仕事を終えた人たちなのだろう、餃子なんぞをつつきながら生ビールを飲んでいる光景をしばしば見かけた。朝の9時20分前後のことである。
根が食いしんぼうだからよけいなのだろうが、あれほどうまそうに見える餃子とビールはなかった。なにしろ、こちらは出勤の途中なのである。「できれば仲間に入れてもらいたいなあ」と思いつつその人たちをちらりと眺め、足早に過ぎ去る。ほどなく事務所に入った僕は、顔をしかめながら渋茶を1杯飲んだものだ。
それから20年。いまもってその店に入って、めしを食ったことはない。ないけれど、特別うまい料理を出すような店でないのは、構えを見ただけでわかる。どこにでもあるようなラーメン屋である。しかも、東京というのは、「高くてまずい店」に「安くてまずい店」を足したような環境の街だから、「安くてうまい店」に当たる確率はおそろしく低い。
しかしである、ものの味なんてものは時と場合によって大いに変わるものだ。夜通しの仕事のあとの餃子とビールがうまくないはずがない。いや、うまいに決まっている。
首都圏での暮らしはかれこれ70年ほどになるが、「音楽にからんで記憶に残っている味」というのがいくつかある。1つは、新宿のアカシアのロールキャベツ。まだ20代だった頃、ジャズ喫茶からジャズ喫茶へとはしごする途中、よく食べた。少し塩味のきついロールキャベツだったが、安くてうまかった。皿の隅にちょこんと載っていたつけもの(福神漬けだったか?)がこれまた美味だった。
最近になって、そのアカシヤがいまだに健在であるのを、あるテレビ番組で知った。もう何十年も入ったことはないが、画面で見るロールキャベツは昔と同じように見えた。店内にたくさんいた若い人たちに、昔の自分の記憶がぴたりと重なった。
もう1つ、やはり新宿のおでん屋、お多幸の茶飯も忘れられない。ここは、60年代末から70年代初頭、ピットインで山下洋輔トリオを聴いたあとによく入った。興奮さめやらぬままに仲間たちと談論風発、熱燗の日本酒をたっぷり体内に流し込んだあとの茶飯は格別な味がした。
山下トリオを聴いた日々の古楽
……というようなことを書きながら、実はモーツァルトを聴いている。イタリアの女流バイオリニスト、キアラ・バンキーニ率いる古楽器グループ、アンサンブル415が演奏する「ト短調五重奏曲 K.516」(仏ハルモニアムンディ HMC901512。現在廃盤)である。
この曲の最初の記憶は、さっき言った洋輔トリオに夢中になっていた日々にさかのぼる。週に一度のライブだけでなく、爆発するフリージャズをジャズ喫茶で連日のごとく浴びるこちらの心の隙間をつくように静かにしかし確実な浸透感をもって入り込んできたのが、この曲だった。とにかく、美しくて、哀しくて、この世のものとは思えないような「天上の音楽」である。
当時はもっぱらアマデウス四重奏団の演奏を楽しんでいたが、CDには復刻されなかったらしく、いくら探しても見つからない。いくつかのグループの演奏によるCDを何度か買い、失望を繰り返したあげくにたどり着いたのが、このアンサンブル415による録音だった。
古楽器独特の渋い音色は、この曲のミステリアスなムードを一段と盛り上げる。しかも、速めのテンポで演奏されているのがまたいい。曲の成立こそ古いが、そこから届いてくるのはまさしく現代人による現代人のための、現代の音楽である。
聴いていると、いつか、イタリアの小さな店で土地の料理でも味わいながら彼女らの演奏にふれられたらいいのに……と、ひとりごちたりする。
ちなみに、松平維秋が世を去ったあと、喪失感に悩む松平洋子さんにこのCDをプレゼントした。毎日泣きながら聴いて、心のバランスを回復できたとの連絡が、後日あった。26年前のある日のことだ。


0 件のコメント:
コメントを投稿