2026年2月1日日曜日

ガルボの顔

 


 『柿の種』の主人は、映画が好きだった。映画について書かれたものだけで、優に1冊編めるだけのエッセイが残されている。

 『柿の種』にもこんな記述がある。


 グレタ・ガルボ主演の「接吻」というのを見たが、編輯のうまいと思うところが数箇所あった。

 たとえば、惨劇の始まろうとする始めだけ見せ、ドアーの外へカメラと観客を追い出した後に、締まった扉だけを暫時見せる。

 次には電話器だけが大写しに出る。

 それが、どうしたのかと思うほど長く写し出される。

 これはヒロインの蹰躇(ちゅうちょ)の心理を表わすものであろう。

 実際に扉の中で起こったはずの惨劇の結果――横たわる死骸――は、後巻で証拠物件を並べた陳列棚の中の現場写真で、ほんのちらと見せるだけである。

 もっとも、こんなふうな簡単に説明できるような細工にはほんとうのうまみはないので、この映画の監督のジャック・フェイダーの芸術は、むしろ、こんなふうには到底説明する事のできないような微細なところにあるようである。

 クローズアップのガルボの顔のいろいろの表情を交互に映出するしかたなどでもかなりうまい。


文学論とガルボの顔

 ずいぶん昔のことになるが、文学を論じた本の中で「ガルボの顔」という一文を読んだ記憶がある。ロラン・バルトの『零度の文学』ではなかったかと思う。

 あいにく本はもう手元にないので確認できないが、これとあわせて、『接吻』なる映画をぜひ見たいと思った。

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