2026年2月24日火曜日

岩波ホールのジャズ音楽講座

 


 20日金曜の稲毛・フルハウスでの会合のあと、60〜70年代に経験したことが次から次へとよみがえってきた。その1つに1969年か70年に岩波ホールで開催した「ジャズ音楽講座」がある。

 岩波ホールの当時の総支配人・高野悦子さんの発案で生まれたイベントだが、イベントの中身を構成したのは当時岩波書店の社員だった僕。「書店にジャズに詳しいやつが一人いる」と誰かが高野さんの耳に入れ、それで企画のまとめに参加した。

 イベントのメインプログラムには、山下洋輔さんによる「ブルー・ノート研究」のピアノ実演付解説を置いた。「ブルー・ノート研究」は1969年の春に雑誌『音楽芸術』に2か月にわたって掲載された論文で、黒人音楽独特の音であるブルー・ノートについての論究は以後も全くない唯一無二のものだ。楽典の知識がない僕のような者にはいまひとつ理解ができず、そのこともあってピアノを弾きながら解説してもらえないかと山下さんに直接お願いしたのだった。

 印象的な1シーンがある。「ブルー・ノート研究」解説の締めの部分だった。山下さんが突然傍らに置かれたピアノを指さして言った、「このがさつな楽器!」。平均律の権化ピアノではブルー・ノートが弾けないことを揶揄する一言だった。


植草甚一さんの思い出

 イベントのもう1つの柱パネルディスカッションのメンバーの一人に植草甚一さんがいた。その植草さんをめぐって、これまたいまも記憶から去らない印象的な1シーンがある。

 僕はイベント実施の責任者の一人であるから、当日はイベント開始時刻の2時間ほど前からホールの入口に立って出演者を待ち受けていた。開始時刻間際になって、植草さんが姿を現した。と思うと、植草さんは階段を駆け上がってくる、大声で叫びながら。「岩波は原稿料が安い、安い!」その手には、植草さんのエッセイも掲載されているこの日のプログラムがあった。

 植草さんとは格別懇意にしていたわけではないが、いまも記憶に残るおつきあいがいくつかあった。あれはキャノンボール・アダレイの来日公演だったろうか、終演後のロビーでお見かけし、神保町のジャズ喫茶「響」へお連れしたことがあった。植草さん愛用のスピーカーを譲り受けた「響」の常連客高野君が一緒だったと思う。というか、植草さんと旧知の高野君がその場にいたから植草さんと話ができたのだった。


 植草さんと「響」にいたのはものの1時間ほどだが、そのあと一緒に店を出、神保町界隈の古書店をめぐることとなった。植草さんの趣味である古書店歩きのお供である。

 いくつかの古書店を覗いて最後に行ったのは、古書店街から少し離れた駿河台の坂の途中にある書店だった。アメリカのペーパーバックの古本を大量に在庫している店で、店名は川村書店だったろうか。

 店の入口には廉価で放出する本をいれたワゴンがあった。植草さんはそのワゴンに手を入れ、物色する。ほどなく1冊の本を取り上げた。そして言う「これは掘り出し物だ。君が買え」

 店の奥へ行って、代金を払った。そして、店を出る。そのとき、植草さんからまたも一言があった。「悪いけど、この本は僕が預かっておくよ。いいね」早い話が強奪である。

 いまとなっては、何だか幻のようにも思える1シーンだ。

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