今朝の千葉は雪。 10時現在すでにこの冬初の積雪となっている。
寒さに震えながら一歩表に出て、近所を観察。小熊秀雄の「飛ぶ橇」が脳裡に浮かんだ。
小熊秀雄の「太い糞」
小熊は20世紀の最初の年に生まれ、日本が軍国主義に覆われた時代に死んだ詩人だが、その活動に最もあぶらがのっていた時期、彼は自分とは資質の異なる書斎派の詩人たちを「超然たる、若老人(わかどしより)」とからかい、自分自身を次のように定義した。
僕たちは働く詩人だ
たくさん喰つて
太い糞をするよ
(「気取屋の詩人に」)
その太い糞を代表するのが叙事詩「飛ぶ橇」だ。書斎に閉じこもるのではなく、民衆の中へ、生活の中へ入り込み、動きまわって書かれた長篇詩である。
アイヌの生活が主題になっていて、若い山林検査官(和人)がアイヌの狩人と野を歩き、山をめぐり、やがて雪崩に遭うまでの模様が緊張感の高い文体で描かれる。冒頭の数行を読んだだけで、あなたは冬の北国の烈風を受け、物語に引き込まれていくだろう。
冬が襲つてきた、
他人に不意に平手で
激しく、頬を打たれたときのやうに、
しばらくは呆然と
自然も人間も佇んでゐた。
褐色の地肌は一晩のうちに
純白な雪をもつて、掩ひ隠くされ
鳥達はあわただしく空を往復し、
屋根の上の烏は赤い片脚で雪の上に
冷めたさうな身振りでとまつてゐた、
そして片足をせはしく
羽の間に、入れたり出したりしてゐる。
叙事詩は西欧では古代ギリシアの昔から書き続けられてきたが、日本ではついに太い伝統をもつことのなかった文学形式である。現代でも、大半の人が「詩=抒情詩」と見なしていることだろう。このことには和歌や俳句の伝統が影響していると見ることができるが、しかし詩を短詩型、それも情緒的なものに限ってしまうのはあきらかな偏見であり、偏向である。
そんな思いが雪の風景からよみがえってくる。
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