2026年2月10日火曜日

最後の確定申告

 


 2月も早半ば。確定申告の時期となった。正式には2月16日からの受付だが、還付申告の場合はその前から受け付けてもらえる。ということで、朝から申告書の作成にかかった。

 事業収入は3件。年間通して働いた1社は支払調書を出さない決まりになったので、請求書の控えと銀行口座の通帳を照らし合わせつつ計算。ものの10分で終わった。残りの2社からは支払調書を受け取っているので、計算の必要なし。収入金額等、所得金額等の記入欄もあっという間に埋まった。

 続いて各種控除欄を埋め、さらに収める税金を計算。年間の営業収入が200万円を下回る低所得者だから、これまたあっという間に完了となった。記入ずみの申告書を二度三度と見直し、レターパックの封筒に入れて完了。1時間ほどの作業が終わった。

 年明けに廃業届を提出したので、確定申告はこれが最後となる。レターパックの封筒を閉じると、なんだか淋しい思いにつかまった。


申告書をポストに放り込んで知る時の長さよ

 確定申告が義務付けられる身となったのは、岩波書店を辞めてフリーとなった1971年からである。以来55年。郵便局まで行ってレターパックをポストに放り込むと、その間に経験したさまざまなことが脳裡に浮かび上がった。

 ドルフィンプロジェクトジャパンの運営スタッフ仲間と小さな有限会社を興したのは、1978年。一向に利益が上がらない業務を清算すべく、他の知り合いと別会社を興したのはその2年後。人間関係という観点で見るとずいぶん乱暴なことをしたものだという思いが強くする。今日まで貧乏生活が続いてきたのは、そのたたりか。


 その一方で、嬉しい人との出会いも多数あった。特に、収入がそれなりに安定するようになって出かけた京都で知り合うこととなった「七夕コンサート」のメンバー4人の歌い手——三浦久、豊田勇造、ひがしのひとし、古川豪——の存在は、それこそ自分の宝物と言っていい。彼らの歌を知ることは、僕自身の精神的成長をうながす出来事となった。

 なかでも、ひがしのひとしとの出会いは鮮烈だった。最初の出会いは1977年7月の京都・拾得。小声で囁くように歌う彼のパフォーマンスがいまも記憶に焼きついている。それまで体験したことのない歌世界を発見した瞬間だった。

 それなのに、そのひがしの君はもうこの世にいないのだ。過ぎ去った時の長さをあらたて知る。

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