あれは1999年の11月だったか、初対面の鈴木常吉と宮の坂近辺を歩いたとき、彼が言った。「特定の人の記憶と結びついた町がいくつかあるんですよ。例えば、国立なら山口瞳。歩けば、きまってその人のことが思い浮かぶんです。ここ宮の坂〜豪徳寺は、これからは松平(維秋)さんを思い出す町になりそう」
松平維秋が亡くなって、彼が最晩年に通ったスナックを一緒に訪ねた夜のことだった。
いまになってみれば、僕とて同じである。東京で暮らしたのは富山石動から一家で墨田区業平に移り住んだ1956年以降の67年間だが、誰か特定の人の記憶と結びついている場所は枚挙に暇がない。地下鉄神保町駅から白山通りを水道橋方向に少し進んだ神保町1丁目あたりならこの地でジャズ喫茶「響」を営んでいた大木俊之助さん、千代田区永田町2丁目日枝神社あたりなら岡田隆彦さん、京王井の頭線池ノ上〜下北沢あたりなら松平維秋さんといった塩梅。そうして、渋谷東部宮益坂へ行けば脳裡に浮かぶのが、菅野圀彦さんだ。
菅野圀彦。早川書房の元編集部長であり『ミステリ・マガジン』の元編集長。最初の出会いは、稲葉明雄さんによる紹介を得て早川書房編集部に出向いた1978〜79年のある日だと思う。ただし、すぐに仕事を共にしたわけではなかった。いや、というより直接仕事を共にすることはほとんどなかった。
それなのに親しくなったのは、気質が合ったからである。ある年の早川書房恒例の忘年会を思い出す。立ち飲みをしていた僕に菅野さんが近づいてきて言った。「女の訳者ども、訳は下手くそなくせに偉そうにし過ぎだと思わない?」僕は笑った。
それだけのことだが、なぜか記憶に深く刻まれている1シーンだ。
共に企画したフレンチ・ポルノの電子書籍
菅野さんと最後にお目にかかったのは、宮益坂に入ってすぐの左手、「珈琲茶館集&ガトーナチュレールシュウ渋谷宮益坂店」ではなかったかと思う。時は2005年か2006年の秋。年がはっきりしないのに秋だと言えるのは、「枯葉」か何かシャンソンの秋の歌が話題にのぼったからだ。ただし、話の本題は違う。シャンソンの国フランスのポルノ小説についてだった。
菅野さんはすでに早川書房から身を引かれていて、フリーの立場で編集者活動をされていた。出版の世界では電子書籍が市場を広げ始めていて、多少ではあるが電子書籍の世界に詳しい僕が「一緒に電子出版をやりませんか」と声をかけた。それに「じゃあフレンチ・ポルノだ」と菅野さんが応答し、打ち合わせとなったのだった。
具体的な計画などまだ白紙状態の打ち合わせで、「フレンチ・ポルノの版権料など僕が調べて計画を立てるよ」という菅野さんの一言でお開きとなった。それから店を出て、通りの向かい側の三省堂書店へ行き、ポルノ系の本が並ぶ棚を眺めたりした。そして別れた。
いまにして思えばその後菅野さんは体調を崩されたのだろう、音信は途絶えがちになり、やがて2007年11月16日かその翌日、かつて早川書房編集部で菅野さんの部下だった長戸東三(雨沢泰)さんからメールで知らせがあった。「菅野さんが亡くなった。肺癌を病まれての最期だった」
そのときの茫然自失がいまも記憶に鮮やかだ。(了)
















































