松田政男さんについて調べていて、現代思潮新社(旧現代思潮社)が昨年9月末で廃業したことを遅ればせながら知った。元編集者であるらしい柿生隠者なる方のnoteに挨拶文が引用されていた。「1961年、石井恭二が創業した株式会社現代思潮社は、2000年、石井恭二の引退を期に社名を現代思潮新社と改め再出発をし、引き続き皆様にご愛顧いただいてまいりました。しかしながら、今般、諸般の事情により、2025年9月末日をもちまして廃業することにいたしました。……」
松田さんについて調べる途中で旧現代思潮社をキーワードに検索をかけたのは、松田さんは直接、現代思潮社は発行物を通して、僕の文筆の師であったからだ。松田さんからは、1960年代末だったろうか、新宿にあった喫茶「ぼろん亭」で長文をどう書けばいいかを教わった。「長い文章を書くときはね、いきなり原稿用紙に書き始めちゃだめなんだ。まずはプロットを作る。これから書く文章のテーマに沿って小見出しを考え、小見出しから小見出しへとつなげていく。小さなマッチ箱をいくつも作って、紐でつなげていく要領だよ」という教えだったと思う。実際に実行してみると、長い文章がスムーズに書けた。松田さんが編集同人の一員だった雑誌『映画批評』に寄稿した「祭りなきフェスティバル」という雑文がそれで、いま調べたら初出は1971年3月とある。
現代思潮社については、60年代に同社から刊行された谷川雁の著作集が文章作成の導き手となった。4冊ある著作集のうち『原点が存在する』が特にそうだが、谷川雁の文章は語り口、リズムなどのいろいろな点で参考になった。そう、まさしく原点がそこにあった。
最後は映画の試写会で
相倉久人さんの紹介で知己となった松田さんは、その頃は「映画評論家」が肩書だった。しかしながら、ぼろん亭での対話を何度か重ねるうちに、この人がただの映画評論家ではないことを知るのに時間はかからなかった。著作集を発行している航思社という出版社のウェブサイトの略歴欄にはこう書かれている。「都立北園高校在学中の50年に日本共産党入党。以後、共産党所感派に属しながら、高校細胞などで活動し、卒業後は職業革命家となるも、54年の総点検運動により党活動停止処分。その後、共産党神山派で活動するが、ハンガリー事件の評価をきっかけにした神山派分裂後はトロツキズムからアナキズムへ接近。60年代中期以降はゲバラやファノンの第三世界革命論を導入しながら、直接行動の原理を模索し、『テロルの回路』などの戦術論集などを発表、68年前後のアクティヴィストたちに影響を与える」
僕はここでいうアクティヴィストではないが、『テロルの回路』『薔薇と無名者』などの著作におさめられた論考はこれまた谷川雁同様文章のお手本となった。71年5月『ボップス』に載った「音楽の〈場〉とは何か」などは松田さんの文体を模写したかのごとき文章で、雑誌の発行後に「なんだ、俺の文章を真似してくれたのか」とご本人に笑われたものだ。
『映画批評』が終刊となった1973年以後は疎遠となった松田さんに最後にお目にかかったのは、映画の試写会でだった。作品はクリス・クリストファーソン主演の『午後の曳航』、1976年の夏だったと思う。
それから44年を経た2020年3月17日、松田さんは肺炎で河を渡られた。87歳だった。


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