いまでは考えられないことだが、1960年代、雑誌等のメディアには作家や芸能人の住所と電話番号が堂々と掲載されていた。それを見て、多数のファンが自宅へ押しかけたことだろうと想像される。
かく言う僕も、一度だけそういう行為を実行したことがある。ターゲットは詩人で美術評論家の岡田隆彦さん。僕自身の発案ではないのだが、ジャズ喫茶「響」の常連のUさんにそそのかされて一緒に出かけたのだった。
岡田さん、時に37歳。詩人としても美術評論家としても若手ではピカイチの存在だったが、訪ねたのは詩や評論に惹かれたからではない。1966年7月、ジョン・コルトレーンが来日し、全国で公演を行った。さまざまなメディアで大きく取り上げられたが、その中でも印象的な記事の一つに日本読書新聞に載ったコンサート評があった。その筆者が岡田さんだった。
ということは、僕らは66年7月の月末に岡田宅を訪問したのに違いない。
岡田宅は東京は赤坂、日枝神社の近くにあった。いまではもう記憶は薄れているが、木造の一軒家。電話であらかじめ伝えたのではなく、いきなりの訪問だったが、インターフォンで用件を述べると、岡田さんご自身が現れ、中庭へ案内してくださった。縁側に座って歓談。
話題はこれまた詩や美術評論ではなく、もっぱらコルトレーンとジャズをめぐってだった。岡田さんにとってはジャズへの関心が大きく高まりつつあった時期だったらしく、話の攻守が入れ替わり、ジャズについての質問を次々と受けた。ほんの30分程度で切り上げるつもりだった会談は途切れることなく続き、1時間ほど経過した頃合いだったろうか、詩集『史乃命』(新芸術社、1963年)で知られる史乃さんの手でビールが運ばれてきた。恐縮しつついただいた。
話はそれだけのことだが、岡田さんは僕を気に入ってくださったようで、それから後、著書が送られてくるようになった。著書には見返しの部分にブルーブラックのインクで上の写真のようなサインが入れてあった。
出会いは一度きりだった
いま振り返ると実にもったいないことという思いがするが、赤坂への訪問以後、新しい著書が出る度に贈呈を受けたが、ご本人にお目にかかる機会はなかった。お礼の葉書を出すのが精一杯だった。一度だけ書店のサイン会でお目にかかった気もするが、さだかでない。
そうするうちに1970年代が来て、僕はジャズを離れた。岡田さんに会っても、もう話すべきことはなくなったということだ。
それから30年近くが経過した1997年2月26日、岡田さんは下咽頭ガンで旅立たれた。まだ57歳の若さだった。
葬儀はその数日後だったか、ぜひとも参列せねばと思ったのだが、事情あって行けなかった。葬儀の夜はどしゃぶりの雨だったことをいま思い出す。


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