「縁」というものがある。
昨日5月8日の早朝、夢で兵庫在の泉井小太郎さんに再会した。およそ28年振り。夢の中でのことだから本当の再会ではないが、それでもこよなく懐かしい。それで、その日の夜になってからだが、泉井さんが奥様である音座マリカさんと運営するサイト「六角文庫」(http://rokkaku.que.jp/)にアクセス。「泉井小太郎の書斎」と題されたコーナーでこんな詩に出合った。
雨の九日
さかんに
誰やらのへまが降っている
と眺めていたら
そうだった
死んだ者のへまは
へまではなくなるのだった
歌の世界に「アンサーソング」というものがあるが、これはその部類。アンサーソング、いや返歌、いや返詩である。誰に向かってかというと、淵上毛錢なる大正初期生まれの詩人。僕ははじめてこの人の名を知った。こういうのを「縁」というのではないか。
義理と人情、縁談
早速青空文庫にアクセスしてみたが、登録されてはいない。それでも、ネットでしつこく検索すると、こんな詩作品に巡りあった。
「縁談」
蛙がわづかに
六月の小径に
足あとを残し
夜が来て
芋の根つこに
蛙が枕したとき
村の
義理と人情が
提灯をとぼして
それもさうだが万事おれにまかせて
嫁に貰ふことにして
そんな話が歩いてゐた
笑った。何も書かれてはいないのに、人のよさそうな村人の顔が浮かぶ。
以下、ウィキペディアから。
淵上 毛錢 (ふちがみ もうせん、1915年〈大正4年〉1月13日 - 1950年〈昭和25年〉3月9日)は日本の詩人。
概要
熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)に生まれる。本名・喬(たかし)。東京の青山学院中学部へ進学する。東京では、詩人山之口貘の知遇を得、のちのちまで交流は続いた[1]。脊椎カリエスを病んで青山学院を中退・帰郷。以後、寝たきりの生活を余儀なくされる。病床で詩作を始め、「九州文学」などに作品を発表。また戦後の1946年、水俣青年文化会議を組織するなど、郷里の文化活動の発展に貢献した。1950年、35歳で死去。
代表作に「柱時計」「寝姿」など。ユーモラス、また一面スケールの大きい詩風と評される。


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