YouTubeで久々につれれこ社中『雲』を聴く。「煮込みワルツ」がなんだか懐かしい。
つみれの花の咲く頃に 鶉うづらとまどろめば
竹輪の友の夢を見る 空にがんもどきの群れ遠く
ふやけて半片雲になれ 千切れて蒟蒻石になれ
流れて白滝風になれ 輝いて銀杏星になれ
(上野茂都「煮込みワルツ」)
薄味人生もまたよし
わが家の食事は、ひたすら薄味に向かう毎日だ。最近頻繁に食卓にのぼるのが「白菜と豆腐の鍋」。昆布とカツオで出汁をとるが、豆腐を手でちぎって入れて包丁で切った白菜を加え、それ以外には何も入れずに加熱。白菜がやわらかくなったら食べる。食べるときも、ポン酢の類はいっさい使わない。そのまま食べる。老人食だな。
昼の食事も似たようなものだ。月に1〜2回塩ラーメンを作る。昼だから半分インスタントであって、マルちゃん印の「タンメン」を使う。これ自体が市販の他の塩ラーメンに比べて塩味控えめなのだが、それに加えて、豚肉、もやし、キャベツ、人参、椎茸といった具は油で炒めることなく、ゆがくだけ。ゆがくのに使った湯でラーメンのスープを作る。油で炒めた焼けこげが混じらないから、スープも白く澄んだままだ。
若い頃は、どちらかといえば濃いめの味を好んだと思う。独身の頃、外で飲む余裕がないので、白波の一升瓶を買って、毎夜お湯割りを飲んだが、つまみはすべて自分で作った。ジャガイモやカボチャの煮物であることが多かったが、かなりきつい醤油味だったと思う。
その頃からすると嘘みたいなのだが、薄味で満足しているのは、要するに年齢を重ねてきた証左だろう。濃い味に対する抵抗感が強くなってきた。やたらに喉が渇くのも避けたい。
だが、それだけではない。食材は本来調味しなくても人を喜ばせる元々の味を持つ。白菜の甘みと旨味はその典型だ。「白菜と豆腐の鍋」でいえば、だし汁のしみこんだ豆腐(綿豆腐)にもほのかな甘みがある。手でちぎるのは、だし汁がよくしみこむようにするためだ。
ただし、がつがつかっ込んで食ったら、そのことには気づかないだろう。まずはよく噛む。すると、味がにじみ出てくる、感じることができる。
わが家は、この先、この路線でいくことを決めた。薄味人生、最終列車だ。それでいいじゃないか。


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