2026年5月7日木曜日

仏教世界のメシアの体現者

 


 やっと連休が明けた図書館で『菊地章太/弥勒信仰のアジア』(大修館書店、2003年)を借りてきた。適当にページを繰ると、こんな記述が目に入った。

 アジアの仏教圏において、未来仏弥勒が信仰された時代や地域をかえりみると、そこにはなんらかの共通性があるように思われる。それは王朝や国家が滅亡にひんした混乱のきわみであることが多かった。それはいずれも苦難の時代であった。現在の世にもはや救いが求められないとき、人々は未来に希望を託すほかなかったのか。

 いまこそ弥勒信仰が求められる時代かと思った。


いつか拝観した広隆寺の弥勒

 広隆寺の弥勒を拝観したのは、忘れもしない、1976年の9月だ。シンガー・ソングライターのエリック・アンダースンが来日し、京都のライヴハウス「拾得」でライヴを行った。当時、雑誌『ニューミュージック・マガジン』の編集部にいた太田克彦さんに誘われて、見に行った。その翌日、これまた太田さんに誘われて、広隆寺へ行った。そして見た。

 僕は、仏像には格別の関心はない。かつてもいまもそうだ。ところが、その僕が、広隆寺の弥勒を一目見たとたん、電撃におそわれた。その美しさに目を奪われた。その後、5年ほど経ってから再度出かけたが、印象はさらに増幅するばかりだった。あれほど美しい彫刻は、この世に2つとない。そう思う。

 もっとも、これは言ってみれば「美術品としての鑑賞」の結果でしかない。初見から50年、僕は弥勒について何も知らなかった。知ろうともしなかった。稲垣足穂の「弥勒」は読んだが、それだけだった。いまになって、弥勒がどういう存在なのかを知った。こういうことだ。

「弥勒は未来仏である。人間が8万歳になったとき、この世に現れる。仏教世界のメシアの体現者として」

 そうか、そういうことなのか。あらためて弥勒について読み、考えるとしよう。『弥勒信仰のアジア』はまだ借りてきたばかりだが。


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