どういうものか、僕は茶畑の風景がこよなく好きで、中部方面へ出張することが多かったかつての一時期は、列車が静岡あたりを通り過ぎるとき、車窓越しに飽かず眺めたものだった。いまでも、唱歌の「茶つみ」などを聴くと、その頃のことを思い出し、また行きたくなる。
一面の緑の中に白い茶の花が点々と咲いているのもいい風景と思うが、これは農家の人にとってはありがたくない徴候なのだという。なぜかといえば、肥料を充分に吸収した茶の木は、花を咲かせない。花は、茶の木が与えられた養分に満足していない証拠なのだ。
植物が花を咲かせるのは、いうまでもなく開花して種子を結び、その種子から子孫を繁殖させていくためだが、このような繁殖による生長を「成熟生長」という。ここでは、「成熟」とは「死」とほとんど同義とみなしていいだろう。人間でいえば、まさしく老衰か。
茶の木については、農家の人はこの成熟生長をさせないように管理する。その代わりに、彼らは茶の幼い枝を折り曲げ、折り口を地中に差し込んで発根させ、これを苗にする。こちらは「栄養繁殖」「栄養生長」と呼ぶらしい。
栄養繁殖は、どう見ても自然の摂理に反することと言っていいだろう。そうして本来の形で寿命を全うすることなく、枝を切り取られてしまう木々は、やがて死を迎えるとき、幸福に死んでいけるのだろうか。茶を飲みながら、ふとそう思うことがある。
廃業したいまはもう遠くへ出かけることもなくなったが、かつて見とれた茶畑の風景を想像していると、思いは鹿児島へと飛ぶ。霧島市の鹿児島空港から鹿児島市へと向かう道の周りは、一面の茶畑だ。茶の生産量も、鹿児島が全国トップ。しかも、質が高い。実際、京都の宇治茶の一部は、鹿児島産の茶葉から作られているそうな。
茶畑に惹かれて、いつか鹿児島に移り住むのもいいなと思ったりする。


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