1980年に43歳の若さで早世した作家、野呂邦暢の『小さな町にて』(1982年、文藝春秋)を読む。作家の本業である小説は何編も読んだが、エッセイはこれがはじめてと思う。
文章の素晴らしさにまずはうたれる。文字を羅列するだけではない、呼吸する文章。読むことは即対話となる。
「衝立の向う側」と題された一編に心に響くものがあった。
同志社大の近くにあったその喫茶店については前に書いたと思う。いわゆる名曲喫茶である。一階が洋菓子店で、二階が喫茶店になっていた。店の奥に再生装置があり、客はリクエストした「名曲」をうやうやしく聴くしくみになっている。……
ある日、かつて聴いたことがないメロディーが私の耳をうった。私はページを繰るのを忘れてそのヴァイオリン・ソナタに聴き入った。チャイコフスキー、ブラームス、パガニーニ、ベートーヴェンなど私がそれまでくり返し聴いて飽きが来た音楽とはまるでちがっていた。精密に組立てられた分子構造の模型にそれは似ていた。
再生装置の後ろにある壁には、小さな黒板が掲げられていて、そこには作曲者と演奏家の名前がチョークで記入される。セザール・フランクとあった。
セザール・フランクの「パニス・アンジェリクス」
2つのことが思い浮かぶ。
1つは、洋菓子店の2階という喫茶店の存在。調べると、京都は出町柳駅前、昭和28年創業の老舗ベーカリー2階に今もある「柳月堂」がその店であるらしい。
あいにくその店に入ったことはないが、「京都・店舗2階・大学の近く」というキーワードから畑違いではあるものの同じようなつくりの別の店を思い出した。立命館大学のすぐそばの食料品店の上に短期間存在したジャズ喫茶「ビッグボーイ」だ。柳月堂と同じく再生装置は店の奥にあり、そのスピーカーはJBLパラゴン。JBLの歴史的シンボルともいうべき超大型のスピーカーで、その前に座る客は音楽を楽しむというより礼拝するようなイメージだった。
もう1つはセザール・フランク。作家は「精密に組立てられた分子構造の模型」と書いているが、遊びのない生真面目な作風がフランクの特徴であって、この点についてはクラシック・ファンの多くが同意するだろう。そうして、僕の脳裡にはいま1曲の歌曲が聴こえてくる。「パニス・アンジェリクス(天使のパン)」である。
あれは2014〜15年あたりだったろうか、親しい友人が立て続けに世を去り、打ちのめされるような思いで日々を送る時期があった。そんなある日のこと、たまたま入った本郷3丁目の名曲喫茶「麦」に流れたのが「パニス・アンジェリクス」だった。
天使の糧(パン)は人々の糧となり
天上の糧は形あるものとなった
なんと驚くべきこと!
憐れな者、下僕(しもべ)、卑しき者たちに
天は自らを糧として与えられた
ラテン語で歌われる歌だから、歌詞がその場で理解できたわけではない。家に帰って調べた結果が上記の詞だ。だが、「パニス:パン、アンジェリクス:エンジェル」という標題からの連想だろう、聴いていて宗教的法悦に近いものを感じた。何より敬虔な気持ちにつつまれた。友人を次々と失っていく不幸を包み込むような安堵感にやすらいだ。
歌っていたのはジェシー・ノーマン。このときから、ノーマン歌う「パニス・アンジェリクス」はこの世に存在する歌曲の頂点に位置する1曲となった。


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