図書館で『馬渕公介/大人の修学旅行』(小学館)を借りてきた。
馬渕さんの著書はほとんど読んでいるが、これは珍しく読み洩らした1冊。発行は1996年だから、30年遅れてやっと読む機会を得たことになる。
書名からわかるように日本全国の名所旧蹟をめぐり歩く旅行記。馬渕さんには「旅行作家」という肩書があり、つまりは仕事の中心をなす1冊というわけだ。
北は北海道知床から南は鹿児島桜島までの構成だが、これを内容という観点で見ると流氷から露天風呂までとなる。つまりは、寒〜暖の流れで順次語られていく。
構成は常識的と言っていいが、内容的には凡庸でない。馬渕さんらしい視点がところどころで輝く。
例えば、島根出雲大社を訪ねての一節。
一畑電鉄のとある無人駅である。
客のいないその待ち合い室は、壁が崩れ、中の竹の芯が剥き出しになっていた。くすんだ柱には、薄紫の野菊が空き缶に差してある。ホームに立てば風が走り、レールの先は秋寂れた色の田んぼが広がっている。
ファーストクラスで移動し、山海の珍味を食し、風光明媚な名所旧跡を巡ることだけが、贅沢な旅ではない。私にとって贅沢な旅というのはその旅の間に、何げない風景の中で、何げない静かなひと時を持つことなのだ。
思わず膝を打った。そうして、行間から馬渕さんの肉声が響いてくるように感じた。
馬渕公介よ、旅はいずこへ
馬渕さんとの出会いは、1980年の昔に遡る。
その年、僕は旧知の家崎晴夫と組んでエアジンコミュニケーションズなる小さな会社を興した。その家崎君のライター仲間の一人が馬渕さんだった。
当時の彼は篠沢純太らと起ち上げた編集プロダクション・スーパーシェフのメンバーだったが、当時もそれ以後も仕事をともにする機会はごく少なかった。仕事を離れて親しくつき合うという関係でもなかった。しかし、それでいて、46年後の現在、僕にとって彼は最も心親しくその名を思い浮かべる人物であるのだ。なぜか。これまでの人生を振り返るとき、気質という点で自分といちばん深く通い合うのが彼だからだ。
ここ20年ほどは、直接会う機会はなかった。
最後に会ったのは、2006年、取材:馬渕、ライティング:浜野という役割分担で制作した平凡社新書の1冊『熊田紺也/死体とご遺体』の打ち上げのとき。上野だったか、いや本郷だったか、小さな酒場で蕎麦を肴に祝杯をあげた。彼はとびきりの蕎麦好きでもあった。
それ以後は音信不通状態だったが、2012年頃からだろうか、ネットのFacebookでのFBフレンドとしてのつきあいが始まった。SNSでのつきあいはもちろん間接的なものだが、といって縁遠くなったという印象はない。彼は本業のライター仕事とは違ってぶつぶつとつぶやくような断片的な投稿を頻繁に繰り返していて、それが面白く、読むのが楽しみだった。会う機会はなくても、むしろ親密さが増したようにも感じられた。相変わらず蕎麦屋めぐりをしているらしい日常の様子も好ましかった。
しかし、そんな彼の投稿も2020年9月19日をもって突然に途切れる。
馬渕公介
2020年9月19日
・
軽老が
朝まで飲める
有難や
軽老や
パソ眺めつつ
TVもつけ
以後6年、投稿はない。知る限り、他人のタイムラインへのコメントの書き込みもない。
『大人の修学旅行』は名所旧跡ではあっても彼自身にとっては多く未知の土地への旅の記録だったが、2020年9月19日から後のいずれかの日、彼は最後の未知の国、天へ向かったのではないか。



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