田中克彦『ことばと国家』(岩波新書)は、言語について書かれた一般向けの本としては例外といっていい名著である。発行は1981年だが、およそ45年を経たいまもその存在理由を失ってはいない。
これは、一言でいえば、「母語と母国語の違い」を論じた本である。「母語」は英語でいえばmother tongueだが、この本にもあるように、この語句はかつては「母国語」と訳されることが多かった。いまでもその名残はあるが、たいていの英和辞典で「母語」が第一の訳語になっているのは、おそらくはこの本の影響だろう。
この小さな本から得られる刺激はいくつもあるが、個人的には「母国語=母国+国語」という意味の指摘に蒙をひらかれる思いがした。「国語」は明治時代になってできた新語だそうである。いうまでもなく、その背景には、「標準語による統一を図る国策」の存在がある。「国語」という概念はイデオロギーの産物なのだ。
公用語にも日常語にも同じ一つの言語を用いることによって国家としての枠組みを確固たるものにしようという愚劣な国策の典型はフランスだが(フランス国内に居住する人々すべてがフランス語を日常語としているわけではない)、それがフランス語だろうと英語だろうとスペイン語だろうと、軍事力や経済力をバックにした言語の押しつけは、本来多様であるはずの文化をめちゃくちゃにする。
ヨーロッパではどうか。ここにも、数え切れないほどの問題がある。しかしながら、文字にアルファベットを用いる言語はいずれもラテン語系統であって、強い近親性がある。英語と日本語のような根底から異質な言語を共存させる場合とは違って、互いの浸透は容易だろう。ただし、その場合でも、中心は経済力の強い側に置かれることとなる。
カリ・ブレムネスの歌から
カリ・ブレムネスというノルウェーのシンガーがいる。画家ムンクが彼自身の絵画に寄せて書いた詩に音楽をつけたアルバム『別離』(オーマガトキ、2011年)を聴いたことがあるだけだが、音楽としての完成度はきわめて高く、魅力的である。無用な劇性を排除した印象の強い、静かで知的な彼女の歌いぶりが渋い輝きを放つ。
しかしながら、音楽そのものはあきらかにアメリカのジャズやロックの影響を強く受けている。それでいて、アルバム全体に不自然な感じが全くないのは、やはり言語の音的な構造が大きく左右しているのではないかと思う。ノルウェー語がどんな言語であるのかは知らない。しかし、少なくとも聴いている感じでは、「メリケンギャル風日本語」のいかがわしさはない。英語とノルウェー語とは、もともとそう遠い言語ではないということなのだろう。
言語はいうまでもなく民族と文化をつくる基盤だが、このアルバムを聴けば聴くほど、あまりにも乱雑ででたらめすぎるいまの日本のボップソングをもう一度根本から見直したいという衝動に駆られる。


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