[メタセコイア]メタセコイア(学名:Metasequoia glyptostroboides)は、スギ科メタセコイア属の針葉樹。1属1種。和名はアケボノスギ(曙杉)、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名Dawn Redwood(または、学名Metasequoia)を訳したもの(ただし、化石種と現生種を別種とする学説もある)。(ウィキペディア)
京王線八幡山駅近くにある都立松沢病院。その中庭にそそり立つひときわ印象的な樹木がある。メタセコイアだ。約6,500万年前の新生代から存在するとされる、生きた化石。樹形も独特で、きわだった存在感がある。
そんなメタセコイアという樹種を知ったのは、河野典生の作品でだった。どの作品かは忘れた。SFの『緑の時代』(1972)だったかもしれないし、エッセイ集の『街の博物誌』(1974)だったかもしれない。装画が新井苑子だった記憶があるのに、書名は覚えていない。どちらにしても、あいにく本はもう手元にはない。
手元に残っている河野作品では、『ペインティング・ナイフの群像』(1974)をいまもときどき開いて読む。短編とショートショートを集めた1冊だが、時代風俗を描いた長編映画が古くなっても、一場面のスチールが古くならないことがあるように、いま読んでも新鮮な発見がある。
「壁」と題された一編がある。「倉庫に似たジャズを演奏する店の壁は」と始まるこれは、わずか4行の超ショートショート。しかし、いまのようにけばしばしくなる前の、簡素なジャズのライブスポットに通った経験のある者なら、ここからいくつもの光景を導き出すことができる。小説と読み手とのダイナミックな関係がここにある。
河野典生さんの思い出
河野さんには、60年代末に新宿ピットインで何度もお目にかかっている。たいていは筒井康隆さんと一緒だった。河野、筒井ご両所に相倉久人、平岡正明、江藤政治(雑誌『ジャズ批評』初期の編集者)を加えて、戸川昌子経営のバー「蒼ざめた肌」にご一緒したこともある。酔った唐十郎と土方巽がやって来て平岡さんに喧嘩を売り、あわや乱闘となりかけた一夜で、忘れられない記憶になっている。
ご自宅を訪ねたこともある。お宅は小田急・読売ランド駅の近くの住宅地にあり、2軒手前だったろうか、でっかいシェパードの番犬がいて、猛烈に吠えられたのを思い出す。何かの原稿の受け取りでお邪魔したのだったが、インドで買ってきたというカップで出されたコーヒーのうまさがいまも心に残っている。
河野さんは、人間関係の激しいもつれを描いたハードボイルド作品諸作とはうらはらに、心やさしい人だった。そのやさしさに甘えて、僕が好きな「腐ったオリーブ」など河野作品の話をついつい遠慮なしにしてしまった。何を言っても、河野さんは穏やかな笑みをたたえて聞いてくださった。
河野さんは、今から14年前の2012年1月29日、相模原市内の病院で亡くなられた。77歳だった。


0 件のコメント:
コメントを投稿