2026年4月20日月曜日

50歳は黄昏の始まり

 


 もう四半世紀以上も前のことになるが、50歳という年齢が近づいてきたときに真っ先に意識したのは、「黄昏」だった。少し年齢が下の人と話をするとき、「50歳とは峠だよ、休息して来し方行く末を思うのさ」としばしば言うのだが、その峠は沈みゆく太陽の残光につつまれている。といえば、自分の内側にあるイメージが多少なりともつかんでもらえるだろうか。

 物事にはすべてはじまりがある。現実の「黄昏」を鮮烈に体験したのは古くて、小学生のときだった。東京は北区の赤羽に、親類の家があった。親類の中でも最も親しくしていた家だったので、しばしば家族揃って遊びに行った。あるとき、少し年長の従姉妹が「汽車を見に行こう」といい、一緒に外に出た。

 行った先は、東北線だろう、線路にまたがる橋の上だった。ほどなく汽笛が聞こえ、と思うまもなく、列車が轟音とともに近づいてきた。いうまでもない、先頭は蒸気機関車である。

 その頃暮らしていた東京の下町の外れでは都電やトロリーバスを見る毎日で、蒸気機関車を上から見るのはそれがはじめての体験だった。その迫力に驚愕した、度肝をぬかれた。

 しかし、列車はあっという間に通りすぎて行った。その行く手を視線で追うと、まだ高い建物など数えるほどしかなかった町並みが淡いシルエットとなってそこにあった。その上に、茜色の空が広がっていた。


ちあきなおみの「黄昏のビギン」

 ちあきなおみの「黄昏のビギン」を聴いている。うっとりしつつ聴いている。



 イントロは、50年代のアメリカのスタンダードのムードである。ジャズ・ファンなら、『Lady in Satin』を即座に思い浮かべるだろう。われらがレディ・デイのために、レイ・エリスが心を砕いてアレンジしたストリングスの調べ。それと同質のものからこの歌は始まる。

  雨に濡れてた たそがれの街

  あなたと会った 初めての夜

 「情景音楽」といういいまわしがある。音の形や動きから情景が連想される音楽。スメタナの「ブルタバ(モルダウ)」あたりが典型だろうか。

 同じように、この歌は最初の2行で聴き手の心にすっと入り込み、そこに夕闇迫る都会の一場面を鮮やかに浮かび上がらせる。歌詞を字面として見れば、これはまた実に凡庸というしかない単語の羅列。それがひとたび歌い手の声と背景を包む音に乗れば、全く異なる効果がそこに生ずる。

 歌のマジックだ、歌が歌である所以だ。


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