2026年3月31日火曜日

「灯ともし頃」と浅川マキさん

 


 浅川マキ「灯ともし頃 抄」(日本の名随筆82『演歌』所収)を再読する。

 歌い手である作者がキャバレー廻りをしていた下積み時代の回想記だが、音楽家ならではの心地良いリズムの文章に自然と引き込まれる。何度読んでもこれは同じだ。


「お客さん、此処へ連れて来たの、良かったのかな」

 突然の男の言葉は思いがけなかった。わたしはとっさに息を殺す。物音ひとつしない闇のなかから響いてきた声、それは時間が経つ程に、耳許で鳴ったと思えてくる。ふたりだけだと自覚させる。いま、わたしの目には、港の灯りは映ってはいない。夜の匂いは、山の中腹であるらしいこの界隈だけを覆っている。


 キャバレーに入るにはまだ時刻が早く、タクシーの運転手任せで山中へ移動、夕闇の中に立って函館の港を見下ろしている場面だが、行間から北国の夜の闇が浮かび上がる、そこから冷たい夜気がもれてくる。

 文章を読んでこういう体験をすることはめったにない。


マキさんの手元に残された白いギター

 浅川マキさんとは、1970年代後半の数年間、テレフォン・フレンドだった。深夜1時〜2時、仕事を終えてそろそろ寝床にもぐりこもうかという時刻に電話のベルが鳴る、マキさんのひそやかな声が耳にしのびこんでくる。それから1時間、2時間、おしゃべりが続く。たいていは音楽の話。そうして、ほとんどの場合、「日本の音楽界ってまだまだ貧しいよね」という一言でしめくくられる。


 出会いは、かつて渋谷にあった喫茶店「マックスロード」だった。『ニューミュージック・マガジン』の編集部に近く、月に何度かは編集部での打ち合わせを終えて寄った。そんなある日の午後、ぼんやりコーヒーを飲んでいると、山下洋輔さんと連れだってマキさんが入ってきた。旧知の山下さんから紹介を受け、座談が始まる。なぜか響き合うものがあった。その翌日から、深夜の電話がかかってくるようになった。

 以後、直接会うことはほとんどなかった。ひたすら電話。実際の話の中身はもうあらかた忘れてしまったが、ただひとつ記憶に残っていることがある。それは、かつて恋人としてつきあっていた男性が亡くなり、マキさんの手元に残していったギターの話。「ボディが白のギターでね、指がふれる部分だけが手脂に染まっているの。見るたびに悲しくて、悲しくて」とマキさんは言った。


 2010年1月17日、ライブで訪れていた名古屋のホテルで倒れ、マキさんは逝った。67歳だった。


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