漱石の『坊っちゃん』で一番心に残っているのは、坊っちゃんが待ちに待った東京の清からの手紙。日頃文章など書くことのない清は、何度も下書きして、何日もかけて1通の手紙を書いた。「真情あふれる」というのは、こういう行為のためにある表現だと思う。
少し前、必要あって梅棹忠夫『知的生産の技術』を再読した。発行されてまもない頃以来だから、およそ59年ぶりである。
一番興味深く読んだのは、手紙について書かれた章だった。梅棹忠夫は言う、真情あふれる手紙など書こうと思うな、普通人にはそんな才能はない、用件がはっきり伝わる手紙の書き方を習得せよ、そのためには「形式の確立」が必要だ。
そのとおりと思う。真情というのは、清の場合のように、「自分の内面に本当に真情がある」場合にしか表現できないものだ。文学的な修辞を適当に使い混ぜた「一見真情風」の手紙など、誰がありがたがるものか。
『知的生産の技術』から59年たって、世は手紙ならぬEメールの時代。Eメールもすでに30年を超える歴史を数えるが、手紙とは違って、Eメールは最初から万国共通といっていい書式が定まっている。サブジェクトとアドレスの書き表し方、返信を出すときの引用の仕方、メーリングリストで他人の発言に言及する際の方法……。梅棹説に従って言うと、Eメール定着の結果、「日本人の文章表現」はすでにつまらぬ文学性から脱け出ているかもしれない。
ごく普通の生活人にとって、文章、それも自分の内面にかかわる文章を書く機会などそうそうはないものだ。かつて手紙は、その中心だった。Eメールできちんと相手に用件を伝える文章を書くことは、日常的な言語表現を大きく変える可能性をもっているはずである。
「スペイン革のブーツ」という歌
「手紙」が重要な小道具になっている歌で真っ先に思い浮かぶのは、ボブ・ディランの「スペイン革のブーツ」である。ある日、恋人(女性)が突然ヨーロッパへの船旅に出る。「私」は、恋人が「危険な大洋」を渡っていくことにためらいをもつ。しかし、彼女は委細かまわず出発する。やがて、船上からの手紙が届く。「私」は思う。
西風に気をつけて、気をつけて。
嵐に気をつけて。
送ってくれるというなら、これだけ、
スペイン革でできたスペインのブーツ
「スペイン革のブーツ」がどういうやりとりの中で出てくるのかは、説明しない。自分で歌を聴き、詞を読んでほしい。それが、男と女の間に横たわる永遠の溝を象徴するものであることがわかるだろう。
この歌は、ディラン自身のものより、1990年代に入ってつくられたナンシー・グリフィスによるカバーが好きだ。『Other Voices,Other Rooms』というアルバムに入っている。
女性である彼女は、歌の登場人物の男と女を逆にして歌っている。それだけで、歌の世界は全く意味を変える。
ちなみに、この演奏で控えめな、しかし印象に残るハーモニカを吹いているのは、ディラン本人である。


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