2026年3月9日月曜日

ピジン・イングリッシュ、ピジン・ミュージック

 

 ピジン・イングリッシュと呼ばれる言語がある。「ピジン」はpidginと書く。英和辞典などでは「businessが崩れた語」といったふうに説明されることが多いようだが、実際ははっきりしない。

 ピジン・イングリッシュ自体もまた「崩れた英語」などと言われることがあるが、これは正確ではない。例えば、もともと英語を母語としない地域の人たちが英国の支配下に入り、英語を使わざるをえなくなる。その結果、生来の言語感覚の上に英語をのせるようにして形成されたのが、ピジン・イングリッシュなのである。

 典型を1つ挙げれば、ハワイの人たち、ことに二世代、三世代前のハワイ人が使った独特の英語がそうだ。いや、英語だけではない。植民地主義のあるところ、同じような「ピジン語」がいくつもできた。


「ピジン・ミュージック」の誕生

 似たことは、当然ながら「もう1つの言語」である音楽の世界にもある。書き言葉はラテン語、日常の話し言葉は地域それぞれの言語が使われた中世ヨーロッパにならっていえば、「書き音楽」として誕生したのが、平均律を土台とするヨーロッパ音楽である。基本的なシステムはごく単純化されているから、教育にはもってこいだし、だから世界のあちこちに輸出された。

 より具体的には、ヨーロッパ音楽は固有の楽器を通して伝わっていった。ピアノはもちろん、ギター、サックス、トランペットその他その他、皆ヨーロッパで形が整えられた楽器である。

 しかし、それらの楽器から生まれたのは、純粋ヨーロッパ音楽だけではなかった。アメリカではジャズがヨーロッパの楽器を通して形成されていったし、アルゼンチン、というよりブエノスアイレスではタンゴが誕生した。これらはいってみれば「ピジン・ミュージック」である。いわゆるクラシック音楽や民族音楽を除けば、現代のわれわれがふれることのできる音楽の大半がピジン・ミュージックである、と言ってもいいだろう。


 最初は必要から生まれたピジン語が歳月を重ねるうちに新しい母語となり、語彙や用法を充実させていったように、多くのピジン・ミュージックもまた複雑化と洗練化の過程をたどった。「チャーリー・パーカーはジャズを歌と踊りからはなれたコード進行にした」というのは高橋悠治さんのことばだが(「音に向って」)、1928年のルイ・アームストロングに聴きとることのできる「自然さ」はもはや現代のジャズには求むべくもない。それは、この世にある多くの音楽にあてはまることである。


 ライ・クーダーがキューバのベテラン・ミュージシャンたちと共演した、というよりはキューバ音楽にライ・クーダーがまぎれこんだアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1997)はその好例だろう。少なくとも20世紀前半には考えられなかった「多国籍音楽」がここにある。


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