子供のときから、読書は苦手だった。
いや、正確にいうなら、ことに「名作」の名で呼ばれるものを読むのが苦手だった。
高校生の頃に一念発起してゲーテだのトーマス・マンだのロマン・ロランだのに片っ端からチャレンジしてみたが、結局は読み通せなかった。『魔の山』などは数か月かけた末に頓挫した。これらの作家の作品でまともに読めたのは、ロランがヒンドゥー教の聖者たちについて書いたものぐらいではないか。
「未完成」から聴こえてくる悲鳴
音楽についても、名作と呼ばれるものはどうにも始末におえない感じがつきまとうことが多かった。例えば、ヨーロッパの古典音楽、それもシンフォニーで名作の呼び声高く、日本でことに愛聴されている作品を1つ選べといわれたら、まずはシューベルトの「未完成」を挙げなくてはいけないだろう。これが、徹頭徹尾苦手だった。
最初に聴いたのは、中学のとき、音楽の教師にすすめられてである。彼はこの曲についてかなりの長時間熱弁をふるった。正確には覚えていないが、「この世に存在する最も美しい音楽」といった意味のことを聞かされた気がする。
「未完成」の真価を知るようになったのは、ごく近年のことである。仕事でちょっとした必要があってCDを買い込み、聴いてみた。一驚した。昔、あれほど違和感を覚えたのと同じ音楽とは思えなかった。
シューベルトのシンフォニーでは実はそのあとの「ザ・グレイト」が好きで、こちらは以前からしばしば聴くことがあったのだが、この2曲を比べると、音楽全体のムードはずいぶん違う。「未完成」はメランコリックで、聴くこちらがしめつけられるような痛々しさがある。
あるとき、これまた必要あって、シューベルトのことを調べてみた。伝記の部類に年譜が載っていて、「未完成」が作曲された年の項に「この年、彼は体調がすぐれなかった」という記述があった。
なんだかはっきりしない記述である。しかし、なんとなく気になる。それで、別の本にあたってみた。そこには、「この年、シューベルトは自分の体が梅毒におかされていることを知った」と書かれていた。
ご存じのとおり、「未完成」は2つめの楽章でとぎれてしまった曲だが、白眉は最初の楽章である。かつて教師に聞かされたごとくこよなく美しいのだが、その美しさには深い霧がかかっている。そうして、楽章の終わり近く、音楽が荘重に厳粛に盛り上がる段になると、それはときに悲鳴のように聞こえる。それも、僕には、
――助けてくれ……!
という悲鳴のように聴こえる。
作品と作家の実人生を結びつける危険はよく承知しているが、これを書いた頃、作曲家は自分の行く末に絶望していたのではあるまいか。彼はこれを絶望のあげくの「白鳥の歌」として書いたのではあるまいか。
その悲鳴が、たかが中学生に感じとれるはずはない。


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