2026年3月21日土曜日

上野の蕎麦屋、渋谷のとんかつ屋

 


 保守系の論客とあってこれまで全く無縁だった福田和也の『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』(2023年、河出書房新社)を読む。

 「保守の前衛」と題されたコラムを除いてほぼ全編が外食店をめぐって展開する。章タイトルにいわく「男はとんかつである」「上野で昼酒の快楽を」「神保町で本を買い、洋食を食べる」……読み進むにつれて、この人の食の好みが自分と共通する部分が多いのに気づいた。違いは「暴食もひどかった。フレンチやイタリアンを食べた後に、カツカレーを食べるということを平気でやっていた」というグルマンぶりか。こちらは、そんな大ぶりの胃袋は持っていない。


 著者と共通の贔屓店がいくつかある。神保町の洋食「キッチン南海」、ビヤホール「ランチョン」。キッチン南海の真っ黒なカレーは、もう一度食べたい料理の一つだ。

 その一方、昔から一度は入りたいと思いながらできていない店がある――上野の蕎麦屋「連玉庵」。久保田万太郎揮毫の看板で知られるこの店に興味を持ったのは同じ仲町通りにジャズ喫茶「イトウ」があった頃だからたぶん1960年代半ば。もはや60年も昔のことだ。それなのにとうとう入らずじまいになっているのは、同じく上野にあったジャズ喫茶「ダンディ」でチンピラに脅されて以来、上野を遠ざかったせいだ。


男はとんかつである、というメッセージ

 本に戻ろう。

 冒頭の1章「男はとんかつである」にこんな記述がある。

 私は自他ともに認めるとんかつ好きである。

 ただ好きなだけではない。男はとんかつだと思っている。とんかつを食べる体力、数多あるとんかつから好みのものを選び食する選択眼、それが男には必要であり、とんかつの食べ方で男の度量が測れると信じている。


 「そうだ! そのとおりだ!」と声を上げたくなる。ここに書かれている「丸八」「とん平」「とん㐂」の3つの店にはあいにく縁がないが、若い頃に遊ぶことが多かった新宿や渋谷では食事といえばとんかつだった。新宿3丁目にいまもある「王ろじ」には、かつの味だけではない思い出がいくつもしみこんでいる。


 夜は新宿・渋谷で過ごすことが多かった時代から時が過ぎること50年。いまはもう外食の文字はわが輩の辞書から消えた。3年前に千葉に越してきてからの外食はただの一度、京成八千代台駅構内にある立ち食い蕎麦屋という始末だ。嗚呼。

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