2026年3月26日木曜日

48年前、はじめて渡った日本海で

 


 生まれて間もない頃から小学校に入学するまでは、富山の小さな町で暮らした。「石動」と書いて、「いするぎ」と読む。そのままそこで大人になれば、海と聞けば日本海を思い浮かべるようになっただろう。

 ところが、幸か不幸か家族に連れられて東京へ出てきてしまった僕は、大人になるまで日本海を見ることはなかった。新潟からフェリーで佐渡へ渡ったのは、1978年、31歳のときである。

 その前年からだったと思うが、岡林信康が「さしむかいコンサート」と題するコンサート・ツアーを続けていた。77年の秋、僕はさしむかいコンサートに同行して南九州一円をまわった。それがあまりに素晴らしい経験だったので、あくる夏、再度招かれてツアーについていった。それが、新潟―佐渡のコンサートだった。

 コンサートのことはあまり記憶にないが、帰りの船中でのことはよく覚えている。間仕切りも何もない広い船室の床に腰を下ろしたツアー一行は皆くたびれ果てていて口数が少なかった。皆、ときどき顔をしかめた。少し離れたところに、社員旅行なのだろう、昼間から宴会を開いてご機嫌になっている連中がいて、大声をあげて民謡をうたっていた。民謡は、2時間ほどの船旅の間ずっと続いた。


迷いの人岡林信康の『風詩』


 その20年後の1998年にデビュー30周年を記念して制作された『風詩(かぜうた)』(クラウン2)というアルバムがある。その1曲目は、「乱の舟唄」。


 波を相手に さあ目を覚ませ

 漕げよ海峡に 嵐が近い


 いま聴くと、ふとあの船中でのことを思い出す。海をうたった歌だということもあるが、それよりどう聴いても民謡の一種に聞こえるふしまわしのせいである。道に迷ってあちらこちらをめぐり歩いたらいつの間にか元の場所に出ていた、そんな不可思議さがある。

 岡林はどちらかというと「迷いの人」である。さしむかいコンサートの頃、スタッフの連中は彼を「巨匠」の名で呼んでいた。しかし、ツアーの間、巨匠はしばしばふさぎこんで、ホテルの自室から全く外に出てこないこともあった。

 アーティストはたいていそうだが、神経がデリケートにできている人ほど、「自分自身に対する100%の自信がもてない」ことが多い。岡林がその典型で、「このまま真っ直ぐ進んでいけばいいのに」と思う周囲の気持ちなど全く理解しないように、あえてじぐざぐな道をたどる。自分自身と客へのいらだちが爆発して、コンサートを不意に打ちきってしまった場面を、一度だけだが、南九州のツアーで目撃している。

 その頃に比べて、このアルバムに聴く岡林はなんと伸びやかで自信にあふれていることだろう。何より印象的なのは「聴き手に何かを伝えよう」という押しつけがましいメッセージ性が、ここにはまるでないことだ。彼は徹底して軽くさらりと歌う。バックの人たちも含めて、楽しみながら音楽をつくっているのがはっきりと伝わってくる。だから、音楽が「ひらかれて」いる。

 歌から届いてくるのは、緊張ではなくゆとり、攻撃性ではなくユーモアである。こんなフレーズがある。


 七つ 泣いても死ななきゃならん

 死ななきゃ 地球は人だらけ

      (「浮き世数え唄」)

 世界を又(「股」が正しい)に 駆ける舟も

 陸に上がれば ただのゴミ

      (「ええじゃないか!」)


 巨匠、ええじゃないか!

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