2026年3月30日月曜日

「幸福」を物語る1葉の写真

 


 「ボタンの掛け違い」ということが、生きていればよくある。そのために人との縁が失われてしまうこともしばしばだが、後悔先に立たず。あとから悔やんでみたってどうにもならない。自分自身に原因がある場合は、ただうなだれるしかない。

 振り返れば、ここ20年ほどの間にもいくつかある。道路の損傷のように復旧できればいいと思うが、そうはいかない。人には感情があり、感情がすべてを阻む。


幸福がここにある

 生きていれば、幸福でありたいと思うのが普通だろう。それでは、幸福とは何か? 僕の記憶の中には、その象徴のような1葉の写真がある


 『昭和台所なつかし図鑑』(平凡社、1998年)という1冊に載っている1葉で、「家庭菜園で収穫した小麦を使った混ぜご飯を前にした一家の食卓」というキャプションが附されている。夫婦と4人の子、そして祖母。いかにも実直という印象の父親はサラリーマンだろうか。畳がすりきれていることがわかるが、表情は皆明るい。質素な食事ではあっても、食べられる喜びが、ことに子供たちの笑顔に映し出されている。

 撮影は、昭和21年7月とある。ということは、母親に抱かれている赤ん坊だって僕より年長ということだ。一家はいまどうしているだろう? 二親とおばあちゃんはもうこの世の人ではないだろうが、仲良し兄弟はいまも仲良しだろうか? そんなことをぼんやり思いつつ、幸福がここにあると実感する。


 木製のたらいに水を満たし、瓶ビール、牛乳、トマト、キュウリをひたしている写真が、同じ本の中にある。水は井戸水。冷蔵庫のない時代の都会では、夏はこんなふうにして飲み物、食べ物を冷やすのが普通だった。実際、僕の子供時代もそうだった。井戸水の冷たさを活用してできた、ささやかな幸福。

 見ていてこみあげるものがあるが、ノスタルジーではない。人は、いまのように過剰なまでのエネルギーを消費して生きる必要などないのではないか。古い記録は、そう問いかけている気がする。


 折しも世は戦争の余波で高騰する石油価格と供給減で大騒ぎ。これも、エネルギー過剰消費文明が招いた現象だ。

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