久世光彦に『マイ・ラスト・ソング』という著書がある。副題に「あなたは最後に何を聴きたいか」とあるように、末期に聴きたい歌を問う1冊だ。
「私の死がついそこまでやって来ているとする。たとえば、あと五分というところまで来ている。そんな末期の刻に、誰かがCDプレーヤーを私の枕元に持ってきて、最後に何か一曲、何でもリクエストすれば聴かせてやると言ったら、いったい私はどんな歌を選ぶだろう」
そうして「末期に聴きたい歌」を探して曲めぐりをしていくのがこの1冊で、合わせて25の歌が俎上に乗せられ、語られる。その冒頭は、洋楽系の流行歌の始まりと言っていい「アラビヤの唄」だ。
「アラビヤの唄」に始まって、「港が見える丘」「時の過ぎゆくままに」「幌馬車の唄」「さくらの唄」「影を慕いて」……1935年生まれの久世光彦がラインナップした歌はさすがに古色蒼然という感じがつきまとう。12歳、ちょうど一回り年少の僕にも記憶のない、知らない曲がある。「愛国の花」がそうだ。
しかし、知らない歌も含めて、ここで語られている歌を次々に見ていくと、全曲に共通のトーンがあることに気づく。何かといえば「抒情」だ。そう、末期に聴くにふさわしいのは、やはり抒情歌なのである。
末期の時のための1曲
それではと、自分自身の末期のための抒情歌を記憶の中から探ってみる。残念ながら、この本で書かれている歌の中にはそれはない。ないけれども、ラ・ゴンドリーナ→燕→北原白秋という連想がはたらき、1曲が思い浮かんだ。「城ヶ島の雨」だ。
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる
雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き
三浦半島の最南端に位置する城ヶ島には、過去、一度しか行ったことがない。それも横須賀に住む親類を訪ねることが多かった小学生の頃だ。つまりは60年を超える昔のことであって、いったいどんな場所だったのか、風景のかけらすら記憶にない。
それなのにこの歌が記憶深く沈んでいつまでも心に残っているのは、1960年代の末頃、城ヶ島ならぬ新宿の場末のバーである女性とこの歌をデュエットした時のことがこれまたいつまでも記憶から去らないからである。その人とは短期間で別れたが、いまも嫌いではない。ただひたすらに懐かしい。
あれから60年近い2026年3月24日の今日、僕は79歳になった。末期を迎えるのも、もうそう遠い話ではない。

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