2026年3月10日火曜日

記憶の中のはしご酒

 


 藤圭子に「はしご酒」という歌がある。

  飲めば飲むほど うれしくて

  しらずしらずに はしご酒

  恋は小岩とへたなしゃれ 酒の肴にほすグラス

 作詞ははぞのなな、ヒットしたのは20年ほど前か。


 好きな歌というわけではなく、ごくたまにYoutubeで聴く程度だが、この歌が流れる度に思い出す男がいる。元音楽之友社編集者でのち音楽ライターとして活動した大屋順平だ。

 彼とははしご酒のつきあいだった。


 すでに物故されたが、オーディオ評論家で真空管アンプの権威だった上杉佳郎という人がいる。学生時代はスピードスケートの選手だった偉丈夫で、体力は折り紙付き。オーディオ機器のテストには美空ひばりの「悲しい酒」を使うという酒好きでもあった。

 その上杉氏が誇る酒の上での記録があった。何かというと、はしご酒。氏が打ち立てたはしご記録は店数、いやはしごだから段数にして13。1店1杯としても13杯のグラスがほされたことになる記録である。

 その上杉氏の記録にチャレンジしようと言い出し、僕を道連れに誘ったのが大屋順平その人で、実際には二度実行した。しかし、二度ともはしごの数は上杉氏に遠く及ばない7段。見事に敗退した。7店にとどまった理由は酔いではない。飲み代が尽きたのだ。悲し。


バーを商う家に生まれ、酒で寿命を縮めた

 大屋順平とはそもそもの出会いから酒がらみだった。

 時は1972年、彼が雑誌『レコード藝術』増刊編集部に所属していた時期のことだ。山下洋輔さんにインタビューしてレポート記事を作ろうという企画がもちあがり、筆者として僕が選ばれた。電話があり、まずは打ち合わせをということになった。場所は新宿の酒場「酩酊浮遊ぷあぷあ」。ライターと編集者は特に新規のつきあいとなる場合は直接面談で打ち合わせるのが当時の常識だったが、それを酒場でというのは、僕の場合、後にも先にも大屋順平しかいない。


 それだけではない。少し遅れて酒場に来た彼は席に着くとすぐにウィスキーのボトルを注文。二人して呑み始めた。そうして、1時間。ボトルは3分の2ほどが空になった。のちのち「乱暴な呑み方をするやつだなあと思ったよ」と互いに笑い合うことになる初対面だった。


 編集者のくせして、妙な日本語を使う男でもあった。大屋君の実家は東京赤羽の片隅でバーを営む家だったが、彼はそのことを「赤羽のバマツだよ」と説明する。「バマツ」はもちろん「場末」のことだ。いま思うと、彼は意図してそう言っていたのかもしれない。

 雑誌編集者としてのキャリアは短く終え、70年代後半から彼は音楽ライターとしてものを書くようになった。守備範囲は日本のシンガーソングライター系音楽が中心で、ことに上田知華+KARYOBINを熱烈に支持した。

 しかし、職種が変わって自由な時間が増えたせいだろう、それからの彼の生活は酒浸りの日々という様相を濃くした。僕自身は70年代後半以降彼と会う機会は激減したが、酒の上でのトラブルをよく噂で耳にした。そして、酒は彼の人生の結末を招く。


 さだまさしに「1989年 渋滞―故 大屋順平に捧ぐ」という歌がある。タイトルにある1989年の11月16日、大屋順平は膵臓壊死で逝った。42歳だった。

 その5〜6年前だったろうか、彼は十二指腸潰瘍を病んだ。手術を受け、無事生き延びたが、彼は酒をやめなかった。そのつけが、1989年11月16日の死を招いたのだった。


 偶然だが、大屋君が熱く支持した上田知華も、それから32年後の2021年9月17日、膵臓癌で他界した。


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