2026年2月20日金曜日

器と機――蓄音器と蓄音機

 


 岩波文庫から出ている寺田寅彦の『随筆集』第二巻に、「蓄音器」と題された一文がある。母親が亡くなってさびしがってばかりいる子どもたちのために銀座の楽器店だかで蓄音器を注文した、という内容のお話だった。

 いうまでもなく電蓄(電気式蓄音機)ではなくてまだ手動式、それも家計が豊かな家でなければ買えない時代に書かれたものだが、蓄音器が届くのをいまかいまかと待ちわびる子どもたちが道路に出ては様子を確かめる情景が、まるで映画の一こまのように心に残っている。記憶するところでは、蓄音器は風呂敷につつまれ、店員の手で運ばれてきたのではなかったか。

 寺田寅彦の時代とは違って、第二次大戦後、特に1960年代のはじめからは17cm径の小さなターンテーブルを持つ簡易方式の電蓄が一般家庭にも急速に普及していくことになるのだが、わが家にはじめてレコードの再生装置が来た日のことはいまでもよく覚えている。1947年生まれの僕が中学1〜2年だった頃のことで、機械マニアの親類の者が置き場所がなくて預けていったのだった。


 当時すでにステレオ録音が始まっていたはずだが、家の床の間風のスペースに鎮座ましましたのは、モノラルの装置だった。アンプは真空管方式。そのアンプは、20cm径のシングル・コーンのスピーカー・ユニット(パイオニア製)がおさめられたどでかいエンクロージャーの上に載せてあった。「最初はラジオにこのスピーカーを無理矢理つっこんだんだよ。そしたら、音が出てくるとラジオがカタカタ踊り出しやがるのよ」と、親類の者が笑いながら言っていたっけ。


置かれていった2枚のシングル盤

 ソフトのないコンピュータと同じく、レコードのないオーディオも当然ながらただの箱、それも狭い家には邪魔なだけの箱である。だから、親類はレコードを2枚だけ置いていってくれた。どちらもシングル盤で、1枚はイヴェット・ジロー、もう1枚はマリアン・アンダースンだった。そのうち、後者は、僕にとっては、アメリカの黒人の歌い手とのはじめての本格的な出会いになった。


 マリアン・アンダースンは、ソウルやジャズの歌い手ではなく、オペラ歌手である。ニューヨークのメトロポリタン・オペラハウスの舞台に立った初の黒人歌手であり、声域はコントラルト。オペラのプリマドンナとしては本来損な声域でありながらスターダムにのぼれたのは、よほどの才能があったからにちがいない。


 いま、手元にはCDの時代になってから再編集されたディスクが1枚あるが、ノイズ混じりのひどい録音状態でも、その魅力ははっきりつかめる。おさめられているのはシューベルトのリートなど短い曲ばかりだが、とにかくはりつめたような緊張感に満ちた声が生々しい。そして、妙な言い方だが、黒人独特の「太い声」なのである。

 その太い声は、なかでも黒人霊歌を歌う際に圧倒的なまでに生きてくる。静かな、しかし力強い声を堪能していると、やがてはジェシー・ノーマンにまで引き継がれていく「黒いプリマドンナ」の道筋が見えてくる。

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