図書館に予約した『添田唖蝉坊・知道著作集』が届いた。千葉市立図書館には残念ながら全巻は蔵書されていなくて、全4+別巻のうちの3冊。なぜに全部揃えないんだよと思うが、ま、よしとしよう。
ブルーのオーバーオールを着た中年の図書館員がにっこり笑って持ってきてくれた3冊を見た瞬間、背文字を見てひらめいた。あ、装丁は田村さんだ、と。
それほどに個性的なデザインで、個人的に縁のある新宿書房刊の書籍の多くもこの人が手がけている。田村義也。岩波書店編集部員にして装丁家。僕が岩波にいたときは上司。といっても、直接の仕事の担当には関わりはなく、同じ編集部内の先輩という位置づけだった。
入社してまもなくは僕は郵便係だったので、郵便物を出す際などによく話しかけられた。一時期雑誌『世界』の編集長だったと思うが、よく覚えていない。
装幀家としての仕事は、2008年に武蔵野美術大学美術資料図書館から刊行された『背文字が呼んでいる』(https://nostos.jp/archives/299053?srsltid=AfmBOoryQd8bhc5QDk2YPkfZr3V-7XcU2licPzHF0bFbVFkdtB7xm24z)に集約されている。
給料二重取りの怪
フランクな人だった。岩波には年がら年中しかめっ面という人が少なくなかったが、その反対。表情はいつも穏やかで、静かな声でぼそりぼそりと語りかけてくる。高卒で入社した若僧にとっては、気持良く接しられる人だった。
その田村さんがとんでもない人物であるのを知ったのは、30年ほど前。岩波同期の友人からだった。もう物故されたからかまわないと思うが、いつの時期からか、田村さんは岩波に籍がありながら大学で教鞭をとるようになり、ほとんど社に出勤することなく教壇に集中した。給料はもちろん二重どりだ。
いまは副業が許される時代だし、いまさらそれをどうこう言うつもりはないが、同期の友人はこう悲鳴を洩らした。「本の内容に何か問題が出てくる。ところが、担当の田村さんはめったに出社しないんだよなあ。緊急事態のときは大学に電話したよ」
大きな文字をど〜んと配置する田村さんのブックデザインを見ていると、そんな氏の生き方がここに投影されている気がする。
田村さんが黄泉の国へ旅立ったのは、2003年の2月だった。


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