午前10時、日課となりつつある花見川図書館花見川団地分館へ。読む必要のなくなった文庫本を1冊返却して、書架の間に移る。最近はあまり見なくなった翻訳書のコーナーを覗く。すると、書架のやや下段に置かれた1冊の本の背表紙が目に飛びこんできた。『今日は死ぬのにもってこいの日』。表記は少し異なるが、1月3日、このブログへの最初の投稿でふれた、プエブロ・インディアンの老人の詩の標題ではないか。
あわてて貸出の手続をした。
家に帰って、せわしなくページを繰る。巻頭から4分の1ほど進んだページにくだんの詩が載っていた。しかし、翻訳者が別なのだろう、詩文は少し異なる。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
本自体の著者はナンシー・ウッド。何者かは不明だ。訳者あとがきを見ても、白人の女性という以外、出自については全くの白紙だとある。
ただ、住んでいるのは郊外にプエブロ・インディアンの居留地があるニューメキシコ州サンタフェの近くの広野と書かれている。そうか、やっとわかってきた。この本は、どうやら居留地近くで暮らす白人女性の詩人がインディアンの古老を訪ねて取材し、彼らの談話をもとに作り上げた長篇詩であるらしい。
上記の詩は、取材相手となった古老の一人の声ということになろうか。
大地とともに生きる
途中にエッセイ風の断章がはさまれるこの本の後半に重要なメッセージが記されている。
白人は大地を眺めるのに、けっしてひざまずこうとはしない。上の方から見下ろすのだ。彼らは、アリの重要性を認めない。クモの巣の美しさを、見ようとしない。畑で土が掘り起こされるのを見たことがない。コオロギの鳴き声なんか、聞きたくもないのだ。
ただ白人を批難しているだけではない。大地とともに生きることの素晴らしさがいわば反語としてここにたたみこまれている。
この断章だけではない。本全体に大地で生きる者たちの声が力強くこだましている。

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