2026年2月23日月曜日

『ワンダーランド/宝島』創刊の頃

 




 老齢になると、日々の思いは過去へ過去へと遡る。昨日ミラノ/コルティナの冬季オリンピックをテレビで見ていて思い出したのが、雑誌『ワンダーランド』(のちの『宝島』)創刊当時のことだった。

 創刊は1973年。その準備として東京は渋谷区神宮前に編集室ができたのは、その前年1972年の冬だった。つまりは、冬季オリンピック札幌大会の年。で、ある日、編集室に集まった面々で女子フィギュアのテレビ中継に見入っていたのだが、そのときひとりの女性が入ってきて言った。「おい、男ども。みんなスケーターのお尻ばかり見ているんじゃないの。いいかげんにしなさいよ」

 声の主は高平哲郎氏の奥様。どっと笑い声が起こった。


校正マンとしての現場で

 『ワンダーランド』はそもそもは米音楽誌 "Rolling Stone" の日本版をという企画が紆余曲折あって純粋に和製の文化誌(サブカルチャー誌)として誕生した雑誌である。責任編集は植草甚一。ただし、これはあくまでも看板であって、実際に編集を仕切ったのは片岡義男、津野海太郎の両氏だった。版元は晶文社。しかし、書籍出版が本業の晶文社には雑誌を継続発行するだけの資金的余裕はなく、3号から誌名を『宝島』に変えてのち、6号をもって力尽きる。雑誌は片岡、津野両氏を除く編集部ごとJICC出版局(現在の宝島社)に譲渡された。

 僕はそんな『ワンダーランド/宝島』の1〜6号に寄稿者兼校正マンとしてかかわった。そうして、校正マンとしての仕事で忘れられない1シーンがある。


 『ワンダーランド/宝島』はタブロイド判の大判雑誌で、本文の書体は新聞明朝。組版は一般の印刷会社ではなく日刊スポーツ新聞社で行われた。日刊スポーツには業界紙などの組版印刷を請け負う部署があり、どういう経緯かはわからないが、『ワンダーランド/宝島』も製作はその部署にゆだねられたのだった。

 完全デジタル化されたいまはいざ知らず、当時の雑誌編集では校了間際に印刷所で出張校正をするのが決まりだった。日刊スポーツ新聞社には20人ほどが作業できる広々とした校正室があり、そこで最終校正をした。

 そんなある日の出来事である。届けられた校正紙に目を通していると、突然罵声が響きわたった。続いて体をぶつけてもみ合う音。最後は乱闘となった。

 日刊スポーツ新聞社に組版印刷を委託する多くは、政治系・宗教系の新聞等のミニメディアだった。その日は、たまたま右翼系、左翼系の新聞編集者が同席した。それで大騒ぎとなったのだった。

 令和8年現在では考えられない、遠い情景。

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