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毎年、夏が近くなると、夕顔を植える。
ご存じのとおり、夕顔の種皮は厚くて堅いので、表面に傷をつけてから一晩水につけておく。小さな鉢にまいた種が芽を出すのはそれからさらに10日ほどたってからだが、土の上にひょっくり顔をだした小さな葉を見るのは何度経験しても嬉しい。
今年は、どういうわけか、夕顔があまり育っていない。気候のせいなのか、それとも単純に土がよくなかったのか。
それでも、つるは徐々に伸びてきて、枯れることはない。そのうち、あのかぐわしい白い花が咲くだろう。
植物を見ていていつも感じるのは、美しさや可憐さではなく、しぶとさ、したたかさである。鉢植えの植物はいってみれば団地住まいの人間のようなものだが、ストレスをためこんで十二指腸潰瘍をわずらったりする人間様に比べ、植物はなんとか環境に耐えて生き延びる。
考えてみれば、すべての植物は大地に太い根を張って屹立する大樹の兄弟分なのだから、しぶといのはあたりまえか。
グレツキの3番『悲歌のシンフォニー』
大地のような音楽という言葉が思い浮かぶ。
このたとえで思い出すのは、ポーランドの作曲家、グレツキの3番『悲歌のシンフォニー』である。コレクションになどとんと興味のない僕だが、この曲のCDだけはなぜか4〜5枚持っていて、ことにポーランドの指揮者と歌手、オーケストラが録音したものの1枚『HENRYK GORECKI:SYMPHONY NO.3』(VOX 7511)というアルバムはよく聴く。
ナチスの独房に閉じこめられて死を待つだけとなった18歳の娘が爪で石壁に刻んだという詩をはじめ、この曲には悲しみを基調にした3つのテキストがとりこまれていて、ソプラノで歌われるが、彼らの演奏が始まってまず感じるのは大地から噴き上がってくるようなエネルギーである。そのエネルギーは、数々の悲劇を乗り越えてきたポーランドの歴史と密接なつながりがある。
民族主義は常に野蛮を伴うものだが、それでも、歴史を振り返ることなく、時代や社会への関心も薄いいまのわれわれには、彼らポーランドの人たちのような「植物の強さ」は求めようがないと言うしかない。


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