2026年5月19日火曜日

武満徹、没後30年に

 


 10日ほど前の東京新聞サンデー版は武満徹の特集。紙面に大きく表示された「没後30年」の文字を見て、あらためて時の流れの速さを感じた。この作曲家の死後に行われた追悼イベントの1つ、パルテノン多摩で開かれたコンサートはつい昨日のことのように思われるが、とんでもない。時は確実に30年を刻んでいるのだ。

 そのコンサートでは、同じ年の少し前に夫君である秋山邦晴を亡くした高橋アキの演奏が深く心に残っているが、その夜遅く、家に帰って聴いた石川セリ『翼〜武満徹ポップ・ソングス』もまた忘れがたい。ことに、「死んだ男が残したものは」の1曲。武満徹自身はたくさんの宝物(作品)を残したが、それでいてこの歌は武満本人の遺言とも感じられた。


  死んだ男の残したものは

  一人の妻と一人の子供

  他には何も残さなかった

  墓石ひとつ残さなかった


  死んだ兵士の残したものは

  こわれた銃とゆがんだ地球

  他には何も残さなかった

  平和ひとつ残せなかった

  (詞:谷川俊太郎)


時を超えて心深くに突き刺さる歌

 ところで、話はこれを歌う石川セリだ。

 石川セリの名を最初に聞いたのは、三浦光紀さん率いるベルウッド・レコードにいた浅野恵子さんからだ。彼女は言った。「いいわよねえ、歌がうまくて、おまけに美人で。嫉妬しちゃう」

 この一言をきっかけに映画の主題歌「八月の濡れた砂」を聴くようになった。ただし、本気で惚れ込んだのは、ずっと後年、『翼〜武満徹ポップ・ソングス』(95)が出てからだろう。はじめて聴いたときの感動は、リリースから31年たったいまも忘れがたい。


 その『翼』中の白眉ともいうべき曲が「死んだ男が残したものは」だ。アルバムは武満徹作曲のポップ・ソングを集めた1作だが、実は僕は武満作のこれらの歌には若干の違和感をもつ。歌は、不特定多数の人々の記憶に定着し、日常の中で歌われてこそ価値がある。ところが、武満作品はあくまで武満作品であって、簡単に歌えるようにできていない。「死んだ男が残したものは」もそうで、メロディがやや不自然だ。人が歌うときに自然にこうなるはずという音の流れができていず、メロディに癖がある。凡庸さを無意識に嫌う作曲家のエゴの反映と思う。


 といった瑕疵はあるのだが、それでも「死んだ男が残したものは」は素晴らしい曲だ。聴いていて胸にずんずんしみこんでくるものがある。歌うときには作曲家の意図に反して音をずらし、自然な流れに置き換えればいい。

 この歌の捉え方は、人さまざまだろう。そもそもは反戦歌として作られた歌だが、そのことを別にしても、人の一生を客観的に即物的に叙述した1作としていろいろな見方ができる。僕のように「一人の妻と一人の子供」以外には何も残せそうにないことがはっきりしている人間にとっては、「そうだよなあ。やっぱりなあ」という慨嘆を招く歌だが、これを聴いて、おれは戦士になるぞ、新しい人類の平和を生むためになどと考える輩が出てきてもおかしくはない。


 ディスクはもう手元にないので、YouTubeであらためて聴いた。石川セリがいまどうしているのか知らないが、武満徹・谷川俊太郎ともども、時を超えて心深くに突き刺さる素晴らしい遺産に感謝することだった。


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