立花実さんの遺品の中に、数通の手紙があった。どれも、読者からのファンレターとおぼしきものだった。
私信だから、本来なら中身を読むわけにはいかない。しかし、遺族からの依頼があって、その人たちへの連絡係をつとめることになった。そのためには、一通り文面に目を通しておく必要があった。
なかで一通、とても気持ちのこもった手紙があった。十代後半の男性からのファンレターだった。どう書いていいものか迷ったが、「立花さんが亡くなりました」という内容の、単に事務的な手紙を書いて投函したはずである。
ほどなく、返事が来た。これまた、十代という小生意気な年齢とはとても思えない、心のこもった手紙だった。文面はごく短く、「残念」の一言に要約できる種類のものだったと思う。しかし、読んでいると、行間から涙があふれ出ていると感じられた。
こんな素敵な読者を持った立花さんの幸福を思った。それはまた、立花さんの真摯そのものの文筆活動の照り返しでもあったろう。
30年後に届いた新たな手紙
あれは1997年の初夏だったか、雑誌『ジャズ批評』が「ジョン・コルトレーン没後30年」の記念特集をすることになり、僕のところへも珍しや原稿の依頼がきた。書きたいことはたくさんあったが、短い原稿なので、話題を1つに絞ることにした。立花さんはおそらく日本で一番コルトレーンの音楽を愛した人である。日本公演の際のエピソードにふれながら、こんな受けとめ方をした人がいたという文脈で、立花さんの文章を数行引用した。
版元に原稿を送ったら、それきりで立花さんのこともコルトレーンのことも頭から消えてしまったのだが、掲載誌が街に出てしばらくした頃、見知らぬ人からの手紙が舞い込んだ。Yさんという署名があった。その名前に記憶はなかった。
読み始めてすぐに思い出した。立花さんの遺品にあった、あのファンレターの主だった。あれから29年、もうジャズを聴くことはなくなった。しかし、あの頃読んだ立花さんの文章はいまも忘れられない。それにひきかえ現代は、そういう人の心深く語りかけてくる書き手のいない時代になった……そんな意味のことがつづられていた。
Yさんもまた久方ぶりにジャズの雑誌を手に取り、そこに僕の名を見つけて手紙をくれ、それが雑誌の編集部経由で届いたのだったが、読み終えて、熱い感情がこみあげてきた。いまさら、立花さんの死を惜しんでもしかたがない。それはわかっている。しかし、そうでありつつ、こういう読者に応えることのできる書き手や音楽ジャーナリズムが乏しくなった時代に歯ぎしりする思いがした。
Yさんの現在のお仕事は、ピアノの調律師だという。手紙には、思わず頬のゆるむ楽しい一文があった。いわく、調律師になってから、50〜60年代のジャズ、ことにライブ盤は聴けなくなった。なぜなら、あの頃のジャズ・クラブのピアノはどれも見事に調律が狂っていて、聴くこちらの神経がおかしくなる。
言われてみると、たしかにそうである。例えば、バードランド。例えば、ヴィレッジ・ヴァンガード。そういった有名ジャズ・クラブで録音されたピアノは、揃いも揃って摩訶不思議な音がする。その典型はコルトレーンの『ライブ・アット・バードランド』だろう。
しかしながら、実際のところは、そういうものの中にこそ名盤のほまれ高い作品が多かったりする。一例としてすぐに思い浮かぶのが、メモリアル・アルバムを含めて3枚出ている『ファイヴ・スポットのエリック・ドルフィー』シリーズである。
録音は1961年。トランペッターのブッカー・リトルの急死のために短く潰えたクインテットでピアノを弾いているのは、マル・ウォルドロン。このピアノの音がなんともいいようがないほどに独特なのである。
ピアノというのは、ギターやサックスとは違って演奏家が自分の愛器を持ち歩くことのできない楽器だが、では、多数のピアニストが共用するクラブのピアノが皆同じ音を発するかというと、そんなことはない。ピアノの音色は、弾き手によって見事なまでに変わるのである。
この録音に親しんでいた頃はだから、マル・ウォルドロンはなんと不思議な音をピアノから引き出す人だろうと思いこんでいた。言葉で説明するのは難しいが、ピアノのハンマーからフェルトを取り去ったような、金属質の音。それがピアノを打楽器のごとく扱い、横に流れるのではなく上下運動を繰り返すようにしてフレーズを刻んでいく彼のスタイルをよけいに引き立て、ミステリアスな空間をつくりあげる。
彼はしばしばペダルを踏みっぱなしで演奏したりするが、それもおそらくは調律の狂ったクラブのピアノに業を煮やしたあげくのことだったのに違いない。彼だけではなく、当時のジャズ・ピアニストは皆ろくでもない楽器と苦闘するようにして演奏活動を続けていたのだろう。
しかし、その時代のジャズには、環境が何もかも整った現代には求めにくい、狂おしいまでの激しい心の動きがある。それがドルフィーの『ファイヴ・スポット』やコルトレーンの『ライブ・アット・バードランド』などの傑作を生んだ。
環境の貧しさを賛美するわけではない。しかし、聴き手が少数だろうと、会場の音響が悪かろうと、楽器が不備だろうとひるむことなく大胆な表現に挑戦し続けた彼らの姿勢には、あらゆる音楽の魅力の源泉となるものがいまも潜んでいるはずである。