2026年6月18日木曜日

「オイヤン」で思い出す町野修三さん

 


 道を歩いていたら、すぐ前を行く二人が「オイヤンがどうしたこうした」と話していた。関西の人だね。町野修三さんを思い出した。


 青空文庫掲載のプロフィール:

  作家名: 町野 修三

  作家名読み: まちの しゅうぞう

  ローマ字表記: Machino, Shuzo

  生年: 1943-11-18

  没年: 2002-12-05

  人物について: 1943年大阪生まれ。歌人。2002年12月逝去。


 大阪生まれの大阪育ちだから当たり前だが、町野修三さんはこの種の関西独特の言葉の響きがお気に入りで、短歌にもしばしば用いた。オイヤンを使った歌もいくつかある。以下は町野さん晩年の歌。


  着るものもユニクロ風でちょっと見はオレもオイヤンも普通のオジン

  週二度の風呂を自慢するオイヤンのテントの中はぐちゃぐちゃである

  踏み倒す度胸ひとつも無きゆえと身につまされるオイヤンたちは

  オイヤンのテントの前を健やかな脚美しいアスリートたち


 家業の染色業がたちゆかなくなって無為の生活に入った晩年の町野さんは、ホームレスのオイヤンとつきあっていたらしい。


青空文庫で出会った

 町野さんとは青空文庫で出会った。ご自身の著書『大伴家持論Ⅰ』(平成4年、短歌新聞社)を文庫に登録したいという連絡が文庫に入り、編集制作は僕が引き受けることとなって連絡を取り合うようになった。


 大伴家持には特に関心のない僕ではあったが、時には電話で直接よもやま話を交わすようになり、親しくなった。『大伴家持論Ⅰ』はなかなかの大著で、しかも和歌を扱う本であるからいわゆるレ点が頻出する。プレーンテキストではどうにもならず、結局はいったんInDesignでページ組みをし、それをPDFに書き出すことになった。文庫の図書カードには「校正:浜野智」とあるが、実際には校正に加えてPDF作成も僕が担当したのだった。


 大阪の人である町野修三さんとは、一度だけ直接お目にかかった。正確なところは覚えていないが、1999年ではなかったかと思う。メールで頻繁にやりとりするなかで、あるとき、僕が京都・拾得恒例のイベント「七夕コンサート」のことをお知らせした。すると、フォーク・ソングになど一度も接したことのないはずの町野さんが興味を示し、では一緒に行きましょうとなったのだった。

 コンサート当日、イベントが終わったあとの町野さんのやや興奮気味の顔を思い出す。古川豪やひがしのひとしの歌にふれて町野さんは言った。「いい刺激をもらった。音楽の歌ではなくて短歌だが、おれも頑張る」


 町野さんが肺癌を病んだのはそれから1年ほどあとのことである。ある日突然の電話があり、「末期癌だよ」と言われた。それからさらに1年、町野さんは名医と呼ばれる医師にすがるべく、治療のためにしばしば首都圏にいらした。だが、会う機会はなかった。

 その頃作歌された作品が悲しい。


  浅草は心優しい駅にして萎えたる足を鍛えてくれる

  階段の手すりたよりにばあちゃんの降り行く地下の駅の深さや

  エスカレーターの備え無き駅多くして足弱き吾には辛き東京

  弱者への配慮はあらずそれはそも首都は強者の都市であるゆえ


 2002年12月5日、町野さんは力尽きて逝った。まだ59歳だった。


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