2026年6月19日金曜日

パイプの煙が漂う

 


 花見川団地商店街は、中央に木製のテーブルセットをいくつも並べてある。午後、そこを通ると、煙が漂ってきた。パイプ煙草だ。独特の香りがして、これは断定できる。オランダの“アンホーラ”だ。

 アンホーラは、数年前に亡くなった田川律さんが愛煙していたと思うが、僕は苦手だった。パイプを楽しんだのは3年ほどと短いが、その間はずっと“スウィート・ダブリン”だった。スウィート・ダブリンはアンホーラよりほんの少し高い。


 パイプ煙草はいいものだ。僕が毎日パイプに明け暮れていたのは20代後半だが、味わいの豊かさは驚嘆ものだった。人前ではさすがに恥ずかしいので(若造には似合わない)、もっぱら家でだったが、パイプを4〜5本集め、机にパイプ・スタンドを置いて並べ、かわるがわる使っていた。ほとんどはビリヤード型だったが、エリック・ドルフィー『イン・ヨーロッパ2』のジャケット写真に惹かれて、ベント型も1本持っていた。銀座の菊水で買ったもので、持っている中ではこれが一番高価だった。7,000〜8,000円ほどしたのではなかったか。

 もっとも、高級品が並ぶ菊水では、最も低い価格ゾーンに入るものでもあった。1970年代半ばの当時、10万円を超える高級品も珍しくなかった。通常の英国型ではなくデンマーク型のパイプとなると、15〜30万円もした。


三野村泰一さんからいただいたパイプ


 僕の机の隅には、ベント型のパイプが1本転がっている。27年前にやめた煙草を吸い始めたわけではない。いただきものだ。誰から? かつて高円寺でジャズ喫茶「サンジェルマン」を営んでいた三野村泰一さんからいただいた。どういう経緯でいただいたのかはもう覚えていないが、煙草の煙が充満していた昔のジャズ喫茶の思い出話か何かがきっかけだったのではないか。


 手元に在りし日の「サンジェルマン」店内を写した写真が1葉残っている。カウンターの隅に三野村さんの姿がぼんやり写っていて、その周りの客は2人。2人とも紙巻きをくゆらしている。これがジャズ喫茶の日常だった。


 「サンジェルマン」の開店は1966年。これについては、このブログの1月の項に書いた。当時の都内には数多くのジャズ喫茶があったが、はじめて訪ねたその日からいちばんお気に入りの店となった。スキンヘッドでユル・ブリンナー似、一見おっかなそうな三野村さんともたちまち打ち解けた。

 僕は1971年を境にジャズとは縁遠くなり、当然ながら「サンジェルマン」へ足を向けることもなくなった。「サンジェルマン」自体も、80年代の中頃に店じまいした。風の便りにそのことを知ったのは、どんな経緯でだったか。

 そうして縁もゆかりもなくなった三野村さんだったが、2006年、ジャズ・レコードのムックを企画編集したとき、偶然がいくつか重なって再会した。

 おつきあいが戻り、その後は半年に一度ほどのペースでお目にかかり、ご自宅で昔懐かしいジャズ・アルバムを楽しんだりしたが、それも長続きはしなかった。


 長年甲状腺の癌で苦しまれた三野村さんが河を渡ったのは、2020年5月だったか。そのときから、机の上のパイプは形見の品となった。

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