2026年6月24日水曜日

稲葉明雄さんと出会って

 


 ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』を再読する。名訳として名高い稲葉明雄訳。広く知られているように、小説はきわめて印象的な書き出しから始まる。

  夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

 原文はこうだ。

  The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour.

 倒置法が効果的に用いられた名文。最近になって知ったことだが、作家は歌曲「恋人よ我に帰れ(Lover, Come Back to Me)」の歌詞をヒントに発想したものらしい。歌い出しはこうだ。

  The sky was blue,

  And high above,

  The moon was new,

  And so was love.

 歌と散文との幸福な出会い、とでもいえばいいか。


稲葉明雄さんとの幸福な出会い

 出会いと言えば、僕にとって稲葉明雄さんとの出会いがまさしく幸福な出会いだった。

 キーコーヒーのPR誌『珈琲ふぁん』を編集していた頃だからたぶん1978〜79年のある日、その『珈琲ふぁん』に掲載すべく依頼した原稿の受け取りでお目にかかったのだった。EメールどころかFAXもこの世にない当時、原稿は執筆者に直接会って受け取るのが当たり前だった。稲葉さんとの出会いもそれ。ところは、西武新宿線久米川駅前の喫茶店。ファミリーレストランのような広い店だった記憶がある。

 原稿の受け取りと確認はものの10分で済んだが、のちになって「雑談王の稲葉」と呼ばれていることを知ることになる稲葉さんとの会話はそれから3時間ほども続いた。話の中身は主に海外ミステリと翻訳。そうして、そのときに約束されたわけではなかったが、その数日後、僕は稲葉さんが早川書房の編集部に僕をライターとして推薦されたことを知ることとなる。以後1985年頃まで続くことになるミステリ書評家・翻訳者としての僕の仕事は、そのときに始まった。

 稲葉さんは「遅筆」で知られた人である。主たるお仕事である翻訳もそうだが、1975年に晶文社から出たレイモンド・チャンドラー『マーロウ最後の事件』にいたっては、訳者である稲葉さんのあとがきが遅れに遅れたために発行が半年延期されたという逸話がある。いま振り返ると、あれほど長時間よどみなく会話できる人がどうしてそこまで遅筆だったのかと不思議でならない。


 稲葉さんは1999年3月17日、東村山市内のご自宅で脳出血のために倒れ、逝去された。まだ65歳だった。出会いはその20年ほど前の一度きりで終わったが、僕にとっては生涯忘れがたい人である。

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