社会の下層に位置する庶民にとって、デパートの食堂は、かつては晴れがましい場所だったと思う。何しろたまの外出、たまの外食。蕎麦屋やラーメン屋ではわが町と変わらない。ここは、やはりデパートの食堂でなくてはならなかった。いまでいえば、最近何かと騒がしいホテルのレストランのようなものか。
寺田寅彦『柿の種』にも、デパートの食堂が出てくる。上野松坂屋7階の食堂。平日らしく、老母と母子の3人の家族の様子が描かれている。老母は幕の内、母子はカツレツを食べる。
平凡だがほほえましい光景が描かれていて、読むと何やらほっとするものがある。そうして、自分のデパートの食堂体験をそこに重ね合わせる。
わがデパ食体験
デパートの食堂に入ったことは、実はこれまでに3〜4回しかない。79年生きてきてこの回数というのは、相当に少数だ。僕が社会人となって給料をもらうようになったとき、デパートの食堂はもう庶民の晴れがましい席ではなくなっていた。
そんな数回のうち、いまも覚えているのは、小学校5年か6年のときに入った浅草・松屋の食堂だ。わが家は父親がいなくて、祖父が父親代わりだったが、その祖父は外食嫌い。だから、松屋の食堂に入るのはとんでもなく珍しいことだった。しかも、子供の僕には初体験。
お子様ランチを注文してもらった。皿の真ん中にピラフ(僕たちは「焼きめし」と呼んでいたが)があり、小さな国旗が立っていた。そのまわりにはカツレツか何かおかずがあったはずだが、覚えていない。国旗がどこのものだったのかも覚えていない。
ただ、広いガラスの窓越しにさんさんと陽光が射し込んでいたのは、いまも記憶にある。下町のモルタルアパートの2階で暮らす僕にとって、それはかけがえのない経験だった。
消えつつあるといわれるデパートの食堂。いま、デパートの食堂を利用するのは、どんな人々だろうか。15年ほど前にある人と浅草・松屋の食堂で食事する約束をしたが、あの3・11の大震災でつぶれた。
行って検分したいが、もう遠出は無理となった。


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