2026年5月22日金曜日

『ジャズ批評』8号が本棚から出てきた

 


 平岡正明『昭和ジャズ喫茶伝説』との関連で本棚をひっかきまわしたら、雑誌『ジャ批評』8号が奧から出てきた。発行は1970年9月。開くと、巻頭は写真ページで、「再会−武田和命」の見出し。一時期ジャズ・シーンから姿を消し、ソウルフル・ブラッズというBST風のバンドでテナーを吹いていた武田和命さんへの訪問記だ。時は70年5月15日。カメラはジャズ喫茶「響」の友、太田琢。いまどうしているのかな、琢ちゃん。


 ついでに本文を確認。巻頭論文は相倉久人さんの「ジャズからの出発」、そのあとに山下洋輔トリオと筒井康隆さんの座談会。司会は僕だ。さらにあとには、徳丸吉彦先生、油井正一さん、植草甚一さんのエッセイが続き、これらをしめくくるように山田泰利君の「非ジャズ的課題についての論考」。慶大の三田新聞からの転載で、この時代のジャズ論・音楽論を代表するといっていい好論文だ。


 演奏主体からの断絶がジャズ批評、原初の混沌である。ジャズから衝動されたぼくたち内部のうごめきは、ジャズが言語表現の対極に位置する裏現、沈黙の部分である以上、言語表現からも、演奏主体からも無限に遠ざかるばかりである。沈黙はいつもそのようなものとしてぼくたちにやってきた。


 山田君はこれ1作で消えてしまうのだが、文はなんらかの形で残っていく。


音楽誌は論争にあけくれた

 相倉久人「ジャズからの出発」は、高柳昌行・道子、間章による誹謗中傷発言への反論を主に書かれている。再読しながら思ったのは、『ジャズ批評』をはじめ、同人誌『アワ・ジャズ』『ジャズ』、さらには『ボップス』『ニューミュージック・マガジン』といった音楽誌各誌の誌面には論争の気配が濃く漂っていたこと。個人的なことだけとりあげても、僕は『ボップス』では田川律・水上はるこ、『ニューミュージック・マガジン』では中村とうように論争を仕掛けた。近頃の音楽誌を思うとまさに隔世の感だが、それはまた時代の照り返しでもあったと思う。

 たかが古雑誌1冊にも、時代の鼓動が響いている。


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