2026年5月29日金曜日

煙草は、小説の小道具

 


 図書館の閲覧スペースで永井荷風「すみだ川」を読む。こんな一場面に惹かれるものがあった。


 お糸は縮緬の風呂敷につつんだ菓子折を出した。長吉は呆気に取られたさまで物もいわずにお糸の姿を目戍っている。母親もちょっと烟に巻かれた形で進物の礼を述べた後、「きれいにおなりだね。すっかり見違えちまったよ。」といった。

「いやにふけちまったでしょう。皆そういってよ。」とお糸は美しく微笑んで紫縮緬の羽織の紐の解けかかったのを結び直すついでに帯の間から緋天鵞絨の煙草入を出して、「おばさん。わたし、もう煙草喫むようになったのよ。生意気でしょう。」

 今度は高く笑った。


 「すみだ川」は明治42年の作。この時代は、煙草喫むようになることが大人への入口であったらしい。


煙草と縁の深い作家たち

 煙草と作家の生活との縁をふと考える。文学者には、ヘビー・スモーカーが多い。

 夏目漱石は酒は飲まない人だったが、煙草は吸った。紙巻き専門だった。1日に2箱のペースだったという。

 本業は医師の森鴎外も、煙草は吸った。ただし、こちらは葉巻専門。ドイツに留学していたときに覚えたのだろう。

 菊池寛は、輸入煙草「キャメル」を1日に5箱吸った。北原白秋はさらに上、10箱以上の紙巻きを連日吸った。芥川龍之介は紙巻き中心だが、葉巻も吸った。坂口安吾はもっぱら缶入りの「ピース」だった。酒好きで知られた歌い手の高田渡は、まだ酒を飲まなかったころ缶入りピースを持ち歩いたそうだが、ひょっとして安吾を真似たのか。

 樋口一葉が煙草を吸ったかどうかは知らないが、この人の小説には女が煙管に煙草をつめたり吸ったりする場面が出てくる。


 煙草は、小説の小道具として欠かせないものの1つだ。例えば、海外ミステリだと、私立探偵が路肩に停めた車の中で張り込み、目当ての人物が帰ってくるのをじっと待つ場面がよくある。こういうとき、煙草が何本消費されたかは、時間の経過を表す目安として格好のものだ。だいたい、煙草も吸わない私立探偵なんて、かっこ悪いじゃないか。


 上の荷風の小説のように、人が大人になる、大人になろうと背伸びする……そういった事柄の表現にも煙草は役立つ。だから、煙草撲滅ファッショがこのまま進んだら、小説の世界はどうなっていくのだろうと心配になる。ただ、元ヘビー・スモーカーとして苦言を呈するなら、煙草の葉ではなく紙を燃やして吸っているようなニコチンの弱いいまの煙草はやめてくれ、という気持ちはする。


 僕が27年前に煙草をやめたのは鼻炎対策という純粋に健康上の理由だが、それでも小説を読んだり映画を観たりしたあと、煙草を吸う夢を見ることがある。

 ちなみに、鼻炎はいまも続いている。


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