2026年2月18日水曜日

藤井暁君と電話の関係

 

 電話を使うことがほとんどなくなった。廃業とともに仕事上の電話連絡がなくなったせいだが、それに耳の病が加わり、電話での会話そのものが不自由になった。スマホでインターネットにアクセスすることはほとんどないので、毎月8,000円ほど払っているauのアカウントは無駄でしかない。

 振り返ると、二十代の頃はいまでは考えられないほどの電話魔だった。もっぱら深夜だが、1時間を超える長電話はざら。酒が入った状態で電話することが多く、電話の途中で眠ってしまったこともある。後日、えらく怒られたなあ。相手は、新宿「酩酊浮遊ぷあぷあ」で働く外間三枝子さんだった。


 もっとも長時間の長電話をした相手は、浅川マキさんだった。この場合は、こちらから電話をかけたのではない。電話は深夜1〜2時にマキさんからくる。そして、話が始まると、ゆっくりではあるが、マキさんの声は止まらなくなる。最長3時間話した記憶がある。

 では、何を話したのかというと、話は単純。もっぱら音楽の話だった。あちらはご本人の音楽体験を、こちらはお薦めのミュージシャンやディスクをだらだらしゃべり続けた。「日本の音楽状況って、やっばり貧しいよね」というのが、マキさんのいつもの止め言葉だった。


片耳の電話は使わない

 その一方、親しくつきあっているのに、一度も電話で話すことがなかった人物がいる。レコーディング・エンジニアの藤井暁君だ。なぜか。彼は電話というものを一切使わない人だったからだ。

 その理由を尋ねたことがある。「電話の受話器は片耳でしょ。頻繁に使うと、片耳だけ悪くなるおそれがある。それは避けたい」と、彼は言った。見上げたものだ、まさしくレコーディング・エンジニアのプロフェッショナル。


 藤井君とは北中正和さんの紹介で知り合ったのだが、酒を呑まないのに忘年会などの酒席でよく顔を並べた。話し上手で、こちらをすっと引き込んでいく引力がある。京都出身だが、京都時代は喫茶店のマスターをしていた。そのときの客扱いの経験が生きていたのかもしれない。


 僕とウマが合ったのは、もうひとつ、互いに熱烈なMacユーザーだったことが大きい。Windows 3.0が出たときだから1990年だろうか、井の頭線渋谷駅の改札を出たところでばったり出くわしてパソコンの話になり、「Windowsを撲滅する会を作ろうよ」と大盛り上がりになったこともあったっけ。シンガーの平方亜弥子さんも一緒だったかもしれない。

 レコーディング・エンジニアとしての彼は、その平方さんのHaLoのアルバム『blue』『yellow』など数々の秀作を残した。その中でも特筆すべきは、フィンランドのアコーディオン奏者マリア・カラニエミの『トーキョー・コンサート』(Nordic Notes DHN-1052)だろう。アコーディオンによる川の流れのように自然な北欧のトラッド演奏が聴けるこれは、レコード会社と契約して録音されたものではない。カラニエミに惚れ込んだ藤井君が記録として残すために録った1作だ。縁あって商品化されたが、藤井君の私家盤というに近い。


 単にビジネスとしてレコーディングするのではなく、音楽を創造する側の一人として録音機材と真摯に向き合っていた彼の魂がこもった傑作盤である。


 ライブ収録は2004年だが、それから9年が過ぎた2013年11月25日、藤井暁は自宅の仕事部屋で遺体となって発見された。スタジオで収録した録音データの編集中に心臓発作に見舞われたのだ。

 録音の仕事に生きて生きぬいた藤井君らしい最期といっていいが、まだ50代。いくらなんでも早過ぎた。その1年ほど前、ジャズ系の新しいレーベルをスタートさせる話が出ていて、彼にレコーディングのチーフスタッフになってくれるよう依頼した。それが彼との最後の面会になった。その話をした渋谷の喫茶店トップ渋谷駅前店も、いまはない。

2 件のコメント:

  1. TOKYO CONCERTは、私も現場にいて、本当にいいコンサートでした。Recordingというのは「記録」だからね、が口癖でした。ジャズレーベル作る話があったんですねえ。時々、藤井さんがいたら、話したかったなーって思う瞬間が今でもあります。(ayako)

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    1. ジャズレーベルは、元風都市の前島洋児さん、サックス奏者の稻垣次郎さんらと企画したのですが、最終的には資金難で吹き飛ばされました。藤井君はやる気満々でしたけど。

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