アメリカはニューメキシコ州に住むプエブロ・インディアンの老人がこんな詩を遺している。
今日は死ぬのにとてもよい日だ。
私の土地は平穏で私をとり巻いている。
私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。
わが家は笑い声で満ちている。
子どもたちが帰ってきた。
うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。
この老人が詩を書いたその日に死んでいったかどうかはわからない。しかし、「死」について書かれているのに、ここにはその逆の生の充実感がある、幸福感がある。彼はそんな幸福感に包まれて死へ向かっていったのに違いない。
年が改まる日に思い出すこと
年が改まる正月は、これは年齢のせいというものだろう、先に逝ってしまった友人知己の思い出にふけることが多い。今朝は、鈴木常吉の歌がいくつも脳裡に浮かんできた。そして、彼と飲み歩いたいくつかの夜を思い出した。
最初は、1999年の初冬だった。世田谷線の宮の坂で待ち合わせ、駅近くのスナック「月がでた」へ行った。松平維秋が晩年に通った店だ。
ところが、店に入ってほんの十数分、「出ましょうや」と常ちゃんが言う。どこにでもありそうなごくありきたりのスナックの雰囲気がお気に召さなかったらしい。「松平さんがこんな店を好むわけがない」と言っていた。
それから通りをふらふら歩いて、赤提灯を見つけた。初老の女性が一人で商っている焼き鳥屋。カウンターに腰をおろして、熱燗を1本また1本。すると、常ちゃんが小声で歌い出した。歌ははちみつぱいの「僕の倖せ」。泣いていた。
……そんなある夜のことを思い浮かべながら、壊れかけた耳に補聴器をさしこみ、僕はYouTubeで「アカヒゲ」のライブ映像を見る。

0 件のコメント:
コメントを投稿