何でもないありきたりのものなのに、記憶に深くしみこみ、妙に忘れがたい情景がある。いまとなっては正確な場所はわからないが、東京は町田市玉川学園の住宅地。小高い丘のてっぺんに建つ木造平屋のテラスから見た光景だ。眼下の下り坂には家々が立ち並び、立体感豊かな情景を作っている。映画のワンシーンのような魅力があった。
その家の住人は門坂流。画家と呼ばれることが多いが、当時はまだイラストレーターが肩書だったと思う。そうして、初対面の僕は、彼にそのとき完成間近となっていた本『ディランにはじまる』のカバー絵を依頼した。1978年の1月だった。
その後、門坂とは急速に親しくなっていくのだが、当時の彼は酒が飲めなかった。飲めないのではなく飲まなかったのかもしれないが、家を訪ねたそのときもビールで乾杯のお相手となったのは門坂夫人だった。
ところが、それから2〜3年後、気づくと彼はいっぱしの呑んべえになっていた。何があったのかは知らない。その頃、彼と兄弟は町田市原町田の山の手に家を新築するのだが、訪ねると二階に広々としたアトリエがあり、その隅には日本酒の一升瓶が置かれていた。彼はほとんどアトリエにこもりきりの生活を続けていて、作業が一段落すると一杯という具合になっていたらしい。
彼の家を訪ねるのは仕事ではなくもっぱらCDを貸しに届けるためだったが、アトリエにはコンパクトオーディオがあり、持って行ったCDから音楽を流し、それをBGMに一杯となるのがいつものことだった。アトリエの隅に電気コンロが置かれていて、そこでシシャモを焼きながらということもあった。
酒が身体をむしばんだか
2000年代に入って5〜6年過ぎた頃からは互いに疎遠になり、会うことはほとんどなくなったが、時々電話連絡はしていた。パソコン音痴の彼にMacの操作方法を教える電話をよくした。きつい言い方をしたために反撥をくらうこともあった。2009年には、秋頃だったろうか、自分の作品を並べるWebサイトを作りたいというので相談に乗ったこともある。
実際にはWebサイトは彼の友人のデザイナーが作ったのだが、彼はそのできばえがお気に召さなかったらしい。紆余曲折あって、サイトの作り直しの仕事が僕にまわってきた。完成は2010年の春だったろうか、門坂がスキャンした画像を素材に銅版画、水彩画、ペン画、鉛筆画、リトグラフ等々にページ分けした「門坂流ウェブギャラリー」が完成オープン。このときは、じかに会って乾杯した。
しかし、いつの間にか多量に呑むようになっていた酒は、彼の身体をむしばみつつあったようだ。2013年、彼は倒れた。診断を受けると、胃癌だった。
胃癌と判明した直後、彼から突然電話があった。病状を縷々説明したあと、彼は言った。「半年ぐらいで治ると思うよ。そのときは、どこかで飲み会をしようぜ」
飲み会が実現することはなかった。2014年4月3日、まだ65歳の彼は逝った。
「門坂流ウェブギャラリー」は、主が世を去って12年を経たいまもWeb上で動いている。




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