2026年1月5日月曜日

荷風が愛した店が消えた

 

 永井荷風が遺した日記「断腸亭日乗」昭和23年12月13日の項にこんな記述がある。
「午下小林氏と共に八幡の登記所に至り売主代理人と会見し家屋の登記をなす。小林氏といふは和洋衣類の買売をなすもの。余とは深き交あるに非らず、今春余は唯二三着洋服を買ひしことあるのみ。然るに余が年末に至り突然家主より追立てられ途法に暮れ居るを見て気の毒に思ひ其老母と共に周旋すること頗懇切なり。今の世にも親切かくの如き人あるは意想外といふべし」
 戦災で家を失った荷風は、その前年から千葉県市川市菅野にある仏文学者の家に間借りしていた。ところが、何かと不機嫌な文学者荷風のこと、家主との関係にひび割れが生じ、移転せざるを得なくなった。しかし、住宅難の戦後のこと、たやすく家が見つかるはずもない。そのとき、手頃な物件を世話してくれたのが小林氏、八幡で不動産業と洋服小売り業を営む小林修という人物だった。
 偏屈老人だった荷風が素直に喜んでいる気持ちが、日記にはっきりと出ている。

晩年の荷風が通った大黒家
 荷風終焉の場所でもあるその家を訪ねたのは、東日本大震災の直後、2011年3月の終わりだった。現在は荷風の養子・永井永光さんが住む二階家は、高い塀にさえぎられて中は見えない。しかし、門の前に立つだけで充分だった。かつてここを荷風が歩いたというだけで充分だった。
 帰り道、京成八幡駅前の大黒家に寄った。晩年の荷風が毎日のように通った料理屋だ。荷風と食といえば浅草の蕎麦屋尾張屋が知られているが、荷風は渋好みだったかというとそうでもなく、大黒家ではもっぱらカツ丼を食したという。実際、大黒家には、カツ丼にお新香、お銚子1本が付く「荷風セット」なるメニューがあった。
 しかしだ、その大黒家が2017年6月末をもって閉店したことをいまになって知った。あれだけの繁盛店がなぜと思うと同時に荷風の残光が1つ消えた、そんな思いがする。


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