2026年1月11日日曜日

夢の中の無人駅

 


 一度しか行ったことがないのに、時々夢に出てくる駅がある。JR相模線の北茅ヶ崎駅だ。

 夢に現れるのは、ホームのベンチから見る線路際の光景。雑草に強い日射しが照りつけている。周りには誰もいない。まぎれもない、2013年7月14日、川崎貴嗣さんの葬儀の帰りに見た光景だ。



 川崎さんは、全公協こと全国公益法人協会に所属して、雑誌『月刊公益法人』『非営利法人(旧「月刊税経」)』をほぼ独力で編集制作を続けた編集者である。1935年生まれだから僕より12歳年長のこの人と出会ったのも、僕がパートタイマーとして勤めることになった全公協でだった。2009年の10月だったと思う。

 川崎さんはすでに全公協を退職されていて、顧問として社に関わっておられた。出社は週に2回。だからそう頻繁に話をする機会があったわけではないが、不思議に気が合った。会えば決まって好みの文学の話になった。その年の11月に入る頃には、プライベートなおつきあいをするようになっていた。


南林間の酒場で黒霧島

 川崎さんのお住まいは茅ヶ崎市内にあったが、日常はそこではなく大和市南林間のマンションで独居しておられた。部屋は1DKで、セミダブルのベッドがスペースの半分以上を占拠している。その手前にモニターが載せられた机があり、そこが氏の仕事場だった。

 訪ねると、氏はたいてい机に向かっておられた。そうして、僕が入ると椅子を降りてダイニングに移り、冷蔵庫からワインを取り出して栓を抜く。それがいつものことだった。そして、ワインを数杯楽しんだあとは、外に出て酒場を目指す。


 氏は早稲田大学の卒業生で、在学中は演劇部でサークル活動をした。同じサークルに1年先輩の小泉太郎(生島治郎)がいて、親しい仲だったらしい。酒場に入ると、まずは小泉太郎と演劇サークルの思い出話になるのが常だった。

 ちなみに、酒場で飲むのはワインではなく焼酎。黒霧島がお好みだった。


 月に1〜2回そんな飲み会を繰り返して4年が経過した2013年の初夏、川崎さんの姿が南林間の町から消えた。肺癌を発症しての、茅ヶ崎での自宅療養だった。

 それからの展開は早かった。「肺癌の宣告を受けたよ。でも、煙草はやめない。こんなうまいもの、やめられるもんか」と電話があったのも束の間、茅ヶ崎の病院に入院。そして7月10日、鬼籍に入られた。4日後の葬儀の日、町は猛烈な暑さにつつまれていた。


 あれから12年あまりが過ぎた昨夜、部屋でひとり黒霧島を呑んだ。ある日ある夜の川崎さんのだみ声が、どこからか聞こえてきた。いい歳をしてと言われそうだが、寂しくて、涙が出そうだった。


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