2026年1月20日火曜日

かつて「ん」という名のスナックバーがあった

 


 筒井康隆の1972年作品『乱調文学大辞典』末尾項目「ん」は、こんなふうに記述されている。


 昨年書いた『欠陥大百科』という本の中で『ん』の項目を作り、ぼくはこう書いた。「電話番号簿に『ん』の項目はない。『ん』という名のバーを作れば、数百万部の電話番号簿全部に新しい項目を作らなければならなくなる。……

 その後、『欠陥大百科』を読んだある女性が、ほんとに『ん』という名のバーを開いた。神宮前六丁目二十五番地。ぼくの家のすぐ近所である。電話番号簿に載せてもらおうとして、電話局へ行ったところ、局員がかんかんになって怒ったそうだ。「どうして、こんな名前をつけたんですか!」結局、載せてもらえなかったそうである。これには責任を感じている。


 思いは1971年4月へと飛ぶ。その月、渋谷百軒店にジャズ&ロック喫茶「BYG」が開店した。僕は2階の喫茶フロアのレコード係としてスタッフに加わったのだが、開店してしばらく後、気づくと「ん」へ足繁く通うようになっていた。

 黎明期の「BYG」では、地下のライブスペースの最大のスターははっぴいえんどだったが、彼ら4人は揃って酒を呑まない。一方、二番手と言っていいはちみつぱいのメンバーは、逆に呑んべえぞろい。連日「ん」に顔を並べたのも彼らだった。そして、彼らの所属事務所である「風都市」の石浦信三、歌い手南佳孝、そんな顔ぶれが「ん」の夜を賑わせた。


 経営者の女性は、通称アパッチ。のちに南佳孝と婚約することになる彼女の姓は同じく南で、「南どうしが一緒になるのか」などとはやしたてられたものだが、名は知らない。

 通称からは、男勝りの女性が思い浮かぶだろう。そのとおりなのだが、一見すると細身の身体のてっぺんにのっている顔は優しげ。力もなさそうなのだが、実は少林寺拳法初段。何かの折り、一緒に新宿を歩いていて突然肘に関節技をかけられ、悲鳴をあげたことがある。


ある夕刻起こった事件

 「ん」は、明治通りの渋谷―原宿間のほぼ中間、通りから少し引っ込んだ軽量鉄骨の建物の2階にあった。その「ん」である日、ちょっとした事件が起こった。喧嘩や暴力沙汰ではない。きっかけは、雑誌『an・an』で「ん」が紹介されたことだった。夕刻5時をまわった頃だったろうか、店へ行くと、丸めた雑誌を手に持った若い女たちが階段に並んでいる。僕は彼女たちの脇をすりぬけて2階に上がった。

 すると、入れ違いにアパッチが出てきた。その手には水の入った容器。と見ると、アパッチは階段に並ぶ女性たちにむかって水をかけ始めた。「ここはあんたたちが来るとこじゃない」と声をあげながら。

 はっきりした記憶はないが、「ん」は、オープン後数年、1972〜73年には店を閉めたのではないかと思う。先の事件にあるように、そもそも商売っ気などとは縁のない人物が経営していたのだから、それも当然の成り行きというべきかもしれない。店じまい後、アパッチは原宿の竹下通りに古着の店を開いたはずだが、これについてはよく覚えていない。

 アパッチはそもそも山下洋輔さんの「追っかけ」で、「ん」でもジャズのレコードがよくかかった。石浦信三がチャールズ・ミンガスの『プレイズ・ピアノ』を、南佳孝がスタン・ゲッツの『ゲッツ・ジルベルト』を聴きながらカウンターで酩酊していた姿が記憶に残っている。



 毎夜、11時の閉店間際にはジャズではない歌が流れた。ミーナの「砂に消えた涙」日本語バージョン。♭青い月の光をあびながら わたしは砂の中に 愛の形見をみんなうずめて 泣いたのひとりきりで……閉店時刻までぐずぐずと居残っていたぱいの鈴木慶一、本多信介その他その他、もちろん僕を含めたみんなは、その声に送られて人通りの絶えた夜更けの明治通りに消えていくのだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿