2026年1月12日月曜日

歌とタイ料理が結ぶ縁

 


 川崎貴嗣さんと出会った2009年以来続いてきた全国公益法人協会の仕事は、昨年12月31日をもって契約解消となった。最初の4か月ほどは通勤、以後は在宅ワークという形態で仕事を続けてきて16年。失業となると、さすがに寂しいものがある。

 契約解消の話が出たとき、退職金に類するものを支給してもらうよう、こちらから要求した。というのも、最初の1年が過ぎたとき以降は、時給据え置き。1時間=1300円という、いまとなってはコンビニで働くパートさん並の安い時給で手間のかかる編集の仕事をしてきたからだ。

 実際の仕事の終わりは12月24日だったが、その日の17時に勤務終了の連絡をいれたとき、脳裡には自然と川崎さんの顔が浮かんだ。川崎さんなら実質的には契約打ち切りとなった事態をどう見ただろうと思ったのだ。


南林間のイーサン食堂で

 川崎さんが晩年の日々を送った南林間の町については、川崎さんを知る以前から縁があった。小田急線の駅から歩いて3分ほどの場所にある「イーサン食堂」。はじめて入った1997年にはまだ首都圏には多くはなかった本格タイ料理の店で、京都のフォーク&ブルーズ・シンガー、豊田勇造君に教わった。というか、この店では年に一度豊田君のライブがある。そうと知って出かけたのだった。



 イーサン食堂での豊田君のライブには、川崎さんをお連れしたこともある。古いメールで調べてみると、2011年の冬のことだ。フォーク系の音楽を生で聴いたことなどあるはずもない川崎さんだったが、それなりに堪能したようだった。「流行歌ではなく、格調の高い歌だったね」と言っていた。


 その夜のイーサン食堂は、もうひとつの出会いの場でもあった。陶芸家の丸田秀三君。以前から吉祥寺・マンダラ2で開かれる勇造ライブの常連だったが、窯を平塚から静岡に移したこともあって、ライブにはしばらく姿を見せなかった。そうして、この夜が久々の再会の時となったのだ。

 それはまた、丸田君を川崎さんに紹介する機会でもあった。開演前、われら3人はタイ料理のおつまみをつまみながら、音楽について、陶芸について話し込んだ。いま振り返ると、そこにあったのは歌とタイ料理が結ぶ縁だったのだと思える。

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