2026年1月24日土曜日

ああ、松原へ戻りたい

 


 長時間歩くのが難しくなったのは、一昨年の8月31日、5年ぶりの痛風を発症してからだった。痛風の痛みは1か月ほど続き、痛みがひいてからも普通に歩くのは難しくなった。痛風によって膝の一部分が破壊されたのだと思える。

 それは、都内のあちこちにある懐かしい場所を再訪する計画を立てていたときだった。計画はすべてご破算。千葉市花見川区花見川1〜9街区のエリアから外に出ることはめったにない日々が始まった。


 再訪しようと思っていた場所の1つに世田谷線の松原駅周辺がある。かつて暮らした地域だ。

 28歳のときだから1975年。もちろんひとり暮らし。世田谷区松原4-24、「ヴィラ葉隠」という妙な名のアパートの1室を借りた。1階の1号室1DK。2年後の結婚をはさんで6年住んだ。


 6年もいたのに、引っ越しの日以前にこの1号室を訪ねてきたのは一人しかいない。松平維秋だ。仕事がらみではない。一緒に蕎麦屋へ行くためだ。

 蕎麦屋とは、茶そばで名高い「いな垣」。アパートから歩いて7〜8分ほどの場所にあった。世田谷区松原4-10でいまも営業している。古い屋敷の離れを店舗にしたのだろう、池のある中庭をもつ渋いつくりの店だ。



 7〜8年前に松平夫人だった洋子さんと再訪したが、松平維秋とよく通った時期とは蕎麦のつくりが全く変わっていた。彼と通った頃の蕎麦は田舎そばふうの太打ち。それが藪の太さになっていた。かつては明るい緑だった色も濃い緑。昔のほうがうまかった気がした。


「珈琲壱門」を思い出す

 「ヴィラ葉隠」の1DKはさすがに狭く、長く住み続けるのは無理だったが、松原には末永く住みたいと思っていた。エリアの大半は住宅地で、商業施設は駅前の10店ほどだけ。それでも、不便とは感じなかった。品揃えが充実したスーパーオオゼキがあったし、必要とあらば世田谷線で1駅隣の下高井戸で用が足せた。

 高級住宅が多いこともあって、人通りは少なく、静かだった。人通りが完全に絶えた夜更け、外に出ると身を包む夜気が心地良かった。そんな夜気の中を徒歩10分ほどの距離にある酒場「自転車屋」に何度か行ったことを思い出す。映画評論家の佐藤重臣が常連だった店だ。実際に同席したこともある。

 一方、駅前にはいまも記憶から去らない喫茶店が1つあった。「珈琲壱門」。マンション1階のごく小さな店だが、コーヒーはまことに美味。知的な風貌のオーナーご夫妻との会話も心地良かった。



 小うるさいBGMはない店だった気がする。いや、小さな音で流れていたかもしれない。エアコンは冷房専用で、冬の暖房は小さなガスストーブ1つだった。オレンジ色の小さな炎が懐かしい。そんな炎の前で、原稿依頼に来てくれた雑誌『MORE』の編集者と打ち合わせしたこともあったっけ。いや、あれは夏だった。


 店は、あれから45年を経たいまもある。ネットで見ると、90歳を超えたママさんが一人で続けているらしい。ご主人は亡くなられたのか。

 いますぐ松原へ戻りたいなあ。

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