荒木一郎『ありんこアフター・ダーク』を再読する。
標題を見れば古くからのジャズ・ファンなら一目でわかる、かつて渋谷百軒店にあったジャズ喫茶「ありんこ」を主舞台とする小説だ。1984年に河出書房新社から発行され、比較的最近になって小学館文庫に入った。上の写真は同文庫のもの。
冒頭からまもなく、強く印象に残っている場面がある。
その建物には、ガラスを嵌めこんだ片開きのドアがついていた。ガラスの内側には黒いレースのカーテンがかけられていて、外から店内の様子はうかがえない。ドアの外枠には歯止めの黒ペンキが塗られていたが、ところどころ剝げかかり、腐蝕した茶色が覗いていた。
そして入口のずっと上方に、小さな板切れがぶら下げられ、そこに黄色いペンキで、無造作に、「ありんこ」と、書かれてあった。
僕は、その火掻き棒のように折れ曲がった把手を摑むと、ドアをそっと手前に引いた。すると、だしぬけにリー・モーガンのファンキーなトランペットが、猿轡を外された勢いを駈って、襲いかかるように表にとび出してきた。と、同時に、中にいた数人の客がいっせいにこっちを向くのが見えた。
中にいた数人の客がいっせいにこっちを向く……あれは1965年の夏だったろうか、僕も全く同じ体験をしている。雑誌『スイングジャーナル』の広告を見たか何かして「ありんこ」の存在を知り、訪ねたときのことだった。そのとき、僕は18歳。ジャズを聴き始めたばかりの小僧にとっては、衝撃的な体験だった。瞬間、どっと怖気が走った。
のちになって、「ありんこ」は矢吹申彦さんなども常連だったと知った。しかし、僕はこの店には二度と行かなかった。恐かったのだ。それに、暗い店内のカウンターの中に立ち、青白い顔で珈琲を淹れているマスターにも何やら違和感があった。
『ありんこアフター・ダーク』が小学館文庫に入った頃、この作品は親しい人たちの間で突然話題にのぼった。親しい人たちとは、かつて高円寺でジャズ喫茶「サンジェルマン」を商っていた三野村泰一さん、そしてその奥方の智佐世さんである。三野村さんはこの小説にしばしば出てくるもう1軒のジャズ喫茶「オスカー」で働いていた経歴の人で、氏にとってはこの作品で展開する世界はとびきりの懐かしさだったようだ。作品が文庫に入ったことをメールで連絡すると、数日後、「読んだ! 懐かしかった!」とはずむような調子の返信があった。
ありんこよりもサンジェルマン
ところで、僕自身にとっては「ありんこ」は縁の薄い店だった。それにひきかえ、数あるジャズ喫茶の中でもひときわ思い出深いのが、三野村さんの店「サンジェルマン」なのである。
大村義人という方がnoteに書いているが(https://note.com/kondo_4_dai/n/n68b35ed89eb3)、創業は1966年。高円寺駅南口のエトワール通りの中ほどにあった。「St. Germainは外観も黒っぽい店だったような記憶がある。店内は黒っぽい感じで、テーブルや椅子も黒色だったのを覚えている。窓もなく、ドアを閉じれば暗い店内」と大村さんは書いているが、この内装は亡き景山民夫・高平哲郎のコンビによるものだと思う。二人は、当時まだ慶応大学の学生だった。当時のジャズ喫茶にはつきものだったマッチもまた黒。
はじめてその「サンジェルマン」を訪ねたのは、いつだったろうか。66年だったことは確かだが、季節はもう記憶にない。ただ、たまたま勤務先の勤務が16時終了だったこともあって、比較的早い時刻に行った。すると、店の前には、入口を掃き掃除する三野村さんの姿があった。
「『ジャズ批評』編集部の浜野です」と言って、僕は一緒に店に入った。
三野村さんと親しくなるのは早かった。互いに気質が合ったのだろう、初対面のときから十年の知己のような具合だった。その頃は智佐世さんも店にいることが多く、彼女ともたちまち打ち解けた。お二人は根っからのジャズ狂で、レコードの収集にお金をつぎ込んだ結果、日常生活に必要な鍋釜にも事欠いている。そうと聞いて、土鍋を進呈したこともあった。三野村さんがもともとは日本料理の調理人だったと聞いたのがきっかけだった。
あれは1967年だったろうか、東京では珍しい大雪の日に店を訪ねたことがいまも記憶に鮮やかだ。その日は、「サンジェルマン」恒例のレコード解説会が行われる日。生来足がまともに動かない僕がゆらゆらと行ったその日に行われたのは、白川君といったろうか、明治学院大学の学生で天沢退二郎のゼミを受講していた学生だった。テーマはバド・パウエル。そうして、パウエルの評価をめぐって、白川君と僕は論争になったのだった。
三野村さんはおそろしく元気な人だった。あるとき、第一子である娘さんが発熱した。三野村さんはその子を抱きかかえて、「どいてくれ! どいてくれ!」と声をあげながら高円寺駅前、高平哲郎の実家である病院に向かって走ったというエピソードがある。
そんな三野村さんなのに、甲状腺を病まれ、5年前、突然に旅立たれた。


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